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フランス紀行 4 エリュアールの生地 サン・ドニ(中)

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エリュアールの生地 サン・ドニ(中)

 サン・ドニの博物館(郷土資料館)に入ると、受付のところで、絵はがきやエリュアールのカタローグといっしょに、『パリ・コミューヌ』という本を売っていた。これは、一九七一年、ここでひらかれたパリ・コミューヌ百周年記念展覧会に出品された、コミューヌの頃のビラ、デッサン、版画、その他の資料を編集したものである。絵はがきのなかにも、やはりその頃のサン・ドニ風景で、洗濯工場の女たちを描いた油絵をうつしたものがあった。それはゾラの『ナナ』の一場面を思い出させもする。
 エリュアールの原稿や写真やその他の資料は、二階の奥の二つの部屋にならべられており、いちばん奥の小さな部屋は、エリュアールの書斎を再現していた。壁にはピカソの「鳩」が飾られ、ボードレールの小さな胸像の置かれている本だなには、ほかの本にまじって、大佛次郎の『パリ燃ゆ』二巻がならんでいて、わたしを驚かせたり、なつかしがらせたりした。『パリ燃ゆ』を書くための資料しらべのため、大佛次郎はたしか一九六一年に、この博物館を訪れているのである。おそらく、そのとき世話になった返礼に、『パリ燃ゆ』二巻がここに寄贈され、博物館の側では置く適当な場所もなく、エリュアールの本棚にならべたのでもあろう・・・

 エリュアールの資料のなかでは、もう黄色くなった一枚の記念写真が、わたしの興味をひいた。それは一九二一年、パリのサン・ジュリアン・ル・ポーブルの空き地でおこなわれたダダのデモンストレーションの時の写真で、エリュアール、ブルトン、アラゴン、スーポーなど当時の「文学」誌同人の面々が写っている。これらの若き反抗者たちは、ステッキやこうもり傘などをもって、なかなかのダンディとして写っている。アラゴンはその頃のことをつぎのように書いている。

 その怒りを 石膏の神神と銅像の影にむかって
 投げつけていた 新しいドン・キホーテたち
 わたしたちは 奇怪な美徳を罵倒するために
 あの時代が呼び集め よせ集めた一群だった

 わたしたちは 不幸のはけぐちを呪文にたくして
 とことんまで 世の中の灰汁(あく)とたたかった
 だがわたしたちは ののしりあざける叫びのほかは
 道徳も目的もない 作り話のたぐいに耽っていたのだ

 わたしたち自身の歌に 禁止宣言を投げつけて
 わたしたちは 呪いのストライキをくわだてた
 わたしたちはその物語をこまごまと語ることもできよう
 サン・ジュリアン・ル・ポーブルの事やその喜劇などを
    (飯塚書店『アラゴン選集』第三巻二七ページ)
(つづく)

<草稿『詩と詩人たちのふるさと──わがヨーロッパ紀行』>
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