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フランス紀行 4 エリュアールの生地 サン・ドニ(上)

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エリュアールの生地 サン・ドニ(上)

 一九七四年八月十四日
 蚤の市で知られる、パリの北門クリニアンクールを出ると、ひろびろとした灰色の工場地帯となり、バスで二十分もゆかぬうちにサン・ドニに着く。ここがエリュアールの生地で、「王の町にしてまた赤い町」(アラゴン)といわれる町だ。バスを降りると、古めかしく黒い大伽藍がそびえている。むかしのフランス歴代の王たちの墓のある有名なサン・ドニのバジリックであり、ここが「王の町」といわれるゆえんである。ここでは王たちの戴冠式なども行なわれたというから、むかしは華麗な馬車行列がパリとの間を往復したことであろう。ちょうど前の大通りは深く掘りさげられて、たしか地下鉄の工事が行われているようであった。大寺院のなかに入ってみると、うす暗い内陣には、いくつもの石や大理石の寝棺がならんでいて、墓のうえには、胸のうえで合掌している横臥像が置かれていて、なんとも鬼気せまるものであった。案内書によると、一七八九年の大革命に際して、これらの王たちの墓は、革命的な人民によって運びだされて破壊された。それをいまの状態に復原したのはナポレオンであった。
 
 この大寺院の前に、道はばの狭い田舎町がじかにつづいていて、きわだった異様な対照をみせていた。エリュアールの記念室のあるサン・ドニ博物館は、この寺院の斜めまえの小路にあった。行ってみると、ちょうど昼食時にぶつかっていて、「午後二時まで閉館」という札がぶらさがっていた。そこでわたしたちも、近くの通りの小さなレストランにはいることにした。通りの石だたみは擦り減って、でこぼこだらけで、ゴミなども散らかったままで汚れていた。少年のエリュアールもこんな街通りを駆けまわったことだろう。入ったところは、レストランなどとハイカラなところではなく、日本の土蔵を思わせるような奥まった哀れな部屋で、まさに、場末のそまつな一杯めしやといった風情である。ちょっと汚れの見える、白い上衣を着た男が四人、ぶどう酒を飲んでいた。恐らく肉屋の男たちかも知れない。わたしたちも赤ぶどう酒と、この店のおすすめ料理の「仔牛の頭(テート・ド・ヴォ)」というのを注文した。四角に切った肉とじゃがいものクリーム煮で、あっさりと塩味のきいた、とろけるような肉のうまさに、わたしは舌づつみをうった。こんなうまいものを、その後パリでもたべたことがない。
(つづく)

<草稿『詩と詩人たちのふるさと──わがヨーロッパ紀行』>
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