ランボオのこと Rimbaud

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ランボオのこと
                 大島博光

 木津川昭夫さんからランボオについて何か書かないかと誘われたので、ちょっと自己宣伝めくが、書いてみよう。
 この夏、わたしは『ランボオ』(新日本出版社)を出したが、思えば学生時代からのランボオとのつきあいということになる。つまり、わたしは学校の卒業論文のテーマにランボオを選んで、それから五十年後にようやく小冊の『ランボオ』を書くことができたということになる。われながらやはり深い感慨をおぼえる。
 卒業論文でランボオにとりくんでいた時は、ほとんど無我夢中で、参考書、研究書に出てくる「反抗者ランボオ」という言葉ばかりが眼についた。しかしその言葉がかかえる内容はあまりはっきりとはつかめなかった。
 その後、一九七四年八月、わたしは初めてランボオの故郷シャルルヴィルを訪れることができた。この放浪の詩人が「風の靴」をはいて、さまよい歩いたアルデンヌの野やムーズ河のほとりを見たり、「ランボオ博物館」を訪れた。そのことによって、「言葉の錬金術」の密室の詩人が、はじめてアルデンヌの大地に立っていたこと、そのアルデンヌの野からパリヘ、ロンドンヘ、はてはエチオピアのハラルの砂漠へとさまよったことが、眼に見えてきたように思う。
 むかしは水車小屋だったというランボオ博物館は、ムーズ河の河岸にたっていた。その三階がランボオの記念室で、一階と二階はアルデンヌ地方の郷土資料館になっていて、むかしの鍛冶屋の道具類、古いフイゴ、大きくて重そうな鋤、やはり重そうな木靴(サボ)、森の中で小鳥やけものをとらえるワナやカスミ網のたぐいなどが陳列されていた。それらは、フランスのこの辺境の地方における人民の生活ぶりをいまに伝えていた。そうしてランボオもそういう人民のなかから出てきたのである。
 よく、ランボオがパリ・コミューヌにじっさいに参加したのか、しなかったのか、という問題が提起されて、そのセンサクが行われる。しかしそんなセンサクに大した意味はないだろう。ランボオが銃をとって参加しようとしまいと、彼はコミューヌの子なのである。彼が抱いた革命的思想、社会主義の理念は、その弱さ、古さをふくめて、まさにコミューヌの時代のものであった。コミューヌの時代を生きたジャン・フォランはその頃のイデオロギー状況をつぎのように語っている。
 「コミューヌという矛盾にみちた運動の時代には、いろいろなイデオロギーがあった。それらのイデオロギーがどのようなものであれ、あの当時作られていたような運命にたいするひそかな反抗は、すでに数多くのコミューヌの士を集めていた。ランボオはより現実的で真実の世界を熱望して、その反抗に参加したのである」

(「日本現代詩人会報」昭和62年12月10日)

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