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フランス紀行1. ミラボー橋の詩人アポリネール Apollinaire - Poète de Le Pont Mirabeau

ここでは、「フランス紀行1. ミラボー橋の詩人アポリネール Apollinaire - Poète de Le Pont Mirabeau」 に関する記事を紹介しています。
フランス紀行 1

ミラボー橋の詩人アポリネール
(上) Apollinaire - Poète de Le Pont Mirabeau

 一九八〇年八月十日
 きょう、パリはたいへん暑い。ヴィッテル鉱水の瓶をぶらさげて歩いている若者もいる。それほどのどがかわくのだ。エッフェル塔のあたり、セーヌの河岸のポプラ林のかげで、上着をぬいで半裸の若者たちが昼寝をしている。やはり半裸で、へそをあらわにした娘たちが、サンダルを手にぶらぶらさせて、芝生のうえを素足で歩いている。イエナの橋を渡るとシャイヨー宮の前庭の池では、まるで噴水の祭典だ。四方から噴水が勢いよく吹きあげて、水の放射による水の森が出現する。池のふちで素足になって、しぶきを浴びながら涼をとっている人たちもいる。暑いので、みんながここに涼をとりに集まっているようにも見える。ゆりかごのなかに赤ん坊をいれて、両端を持って歩いている幸せそうな黒人の夫婦もいる。さっき、エッフェル塔の下でコーヒーを飲んできたばかりなのに、もうのどがかわく。あたりの林のなかのキオスクにとびこんでジュースなどを飲む。それから美しいセーヌに沿って、ビル・アッケムの鉄橋の方に歩き出す。そのあたり、セーヌの岸部で、水着姿の若者たちが日光浴をしている。彼らはこのインキのようなセーヌの流れで泳ぐのでもあろうか。──よく映画などで見かけるビル・アッケムの鉄橋には、地下鉄が走っている。そしてあの「自由の女神」の立っているグルネル橋を過ぎて、シトロエン河岸をゆくと、やがて鋼鉄のアーチを描いたミラボー橋が見えてくる。

 このミラボー橋はアポリネールの詩によってひろく知られて有名になった。そしてアポリネール自身の名声と栄光の大半も、その『ミラボー橋』の詩に負うているのである。
 アポリネールは幾人もの女に失恋した詩人として知られている。まず、アンニイという女に失恋して、『振られた男の歌』 La Chanson du mal-aimé という難解な長い詩を書いている。そして『ミラボー橋』もまた失恋の詩なのだ。アポリネールが女流画家マリイ・ローランサンに失恋した話は有名である。一九〇七年、アポリネールは、才気溢れるマリイに出会ってたちまち彼女のとりことなった。当時、マリイはおよそ二十五歳、ミラボー橋にちかい、右岸のラ・フォンテーヌ街に母親と二人で住んでいた。マリイとの親交を深めるために、アポリネールはわざわざその近くのグロ街に引っ越したほどである。しかし、二人の仲はうまくゆかなかった。アポリネールの失恋の悲しみは、有名な『ミラボー橋』のなかにみごとに結晶することになる。過ぎ去ってゆく恋と過ぎさる時の流れとを重ねあわせて、詩人は失恋の悲しみをうたうと同時に、時の流れの無常さをうたっているのである。

  ミラボー橋 Le Pont Mirabeau

 ミラボー橋の下 セーヌは流れ
     われらの恋も 流れさる
   思い出さねばならぬのか
 苦しみのあとには いつも悦びがきたのを

  早く夜となれ 鐘よ 鳴れ
  日日は去り わたしは残る

 手と手をとり 顔向きあわせていよう
      そのあいだにも
    つないだわれらの腕の 橋の下
 永遠の眼(まな)ざしの 疲れた波は流れさる

 早く夜となれ 鐘よ 鳴れ
 日日は去り わたしは残る

 恋も過ぎさる 流れるこの水のように
      恋も過ぎ去る
    なんと 人の生ののろいこと
 そして希望のなんと 激しいこと

  早く夜となれ 鐘よ 鳴れ
  日日は去り わたしは残る

  日日は去り 月日は過ぎ去る
      過ぎ去った時も
   恋も 二度とはもどって来ない
 ミラボー橋の下 セーヌは流れる

  早く夜となれ 鐘よ 鳴れ
  日日は去り わたしは残る

(つづく)
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