大島博光詩集「冬の歌」──その詩業と愛の詩に──

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大島博光詩集「冬の歌」──その詩業と愛の詩に──
                                鈴木初江

 戦後の私の精神革命といったら大げさかもしれないが、〝戦争への抵抗″を教えてくれたのは、実にこの大島博光訳のアラゴンやエリュアールの詩であり、なかでも私を深くとらえたのは「フランスの起床ラッパ」(アラゴン)や「自由」(エリュアール)であった。
 その大島博光は、戦争中エリュアールの詩集をふところに、燈火管制の暗い新宿の街をさまよっていた。「エリュアールはわたしにとって光だった」と。また、一九九〇年版の「アラゴン」の序には、あの忘れられないことば「そこに変えるべき生があり、変革すべき世界がある限り、詩人は希望をかかげつづけた」がある。
 これらに感動し影響をうけたひとは決して少くないだろう。七月二十一日の「冬の歌」出版記念会でも、また最初の詩集「ひとを愛するものは」の出版記念会の時にも、そのことを語ったひとは何人かいた。それほど戦後の日本の荒廃した土壌と精神のなかに、反省と慙愧と、希望と光をもたらしたものはなかった。私がその後有志とともに「戦争に反対する詩人の会」の結成をよびかけたのも、下地にそれらがあったからかもしれない。〝詩人のあり方″を問うことは自らの〝生のありか″をたしかめることであった。そういう意味でも大島博光は日本の詩人に、かけがえのない贈りものをしてくれたのである。
 前おきが長くなった。本題の「冬の歌」の出版記念会では一応のお世辞をさしひいても前詩集より評価の高いものであることは、大方の一致した感概であった。
 愛について、冬の歌、鳩の歌など七章からなるこの詩集の帯に前述の「そこに変えるべき……」の40文字がしるされている。出版記念会でも「冬の歌」の九篇が絶讃された。今は再起不能といわれる静江夫人への限りなき愛の詩である。八十才をすぎた大島博光のこの溢れるような愛の泉。アラゴンがエルザを愛したように、エリュアールがドミニックをいとしんだように、はかりしれない愛の切なさでもある。次の詩は私の好きな一篇である。

 〝そこでわたしは眠ろう きみといっしょに
 いつまでも われらの墓場の 石のしとねに

 たとえ 白いカルシウムの破片(かけら)となろうと
 ひと握りの灰となり乾いた骨くずとなろうと

 生ける日の 温かかった 春の日のように
 そこでわたしは眠ろう きみといっしょに

 なんとむかしは 二人して楽しかったことか
 なんと生ける日は二人して悦び泣いたことか

 日日 赤いバラの花ばなに埋もれてのように
 その思い出を抱いて二人して眠りつづけよう

 石のなかのくら闇のなかでも沈黙のなかでも
 わたしは死のくちびるで なお歌っていよう

 きみの愛が わたしを生きさせてくれたと
 きみの愛に わたしは死ぬことができたと″
 (わたしは眠ろう きみといっしょに)

 エリュアールがその詩に、愛するひとの名をかく代りに〝自由″とかいたというが、大島博光は、その逆に党へのうむことなき愛をうたいながら、静江さんへの愛を豊潤に高揚させたのではないのか。私が〝静江さんの元気な時にこの詩をかいていたらどんなに静江さんが喜んだろうに″といったら〝元気の時には日本の男はかけないのだよ″と誰かの野次(?)。心の片隅でそれを肯定しながら、そして「冬の歌」の限りなき哀切をかみしめながら、しかもなお妻への愛をかくまで美しくはげしくうたった日本の現代詩人はかつてなかったのではないか、と思うのである。
 もっともランボオ的であった大島博光は、ランボオ的なものへのめりこむことなく、ランボオの抵抗精神を継ぎながらランボオを超えてアラゴンやエリュアールの詩精神に入りこんだ。つねに堂々と党をうたい、ついにおおらかに妻をうたった八十一才の大島博光には〝変革すべき世界″への希望がみちみちているのであろう。
   (青磁社発行 定価一、七〇〇円)

<『稜線』 No.40 1991年10月>
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