死ぬのはやさしいが生きるのはむつかしい──エセーニンについて

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死ぬのはやさしいが生きるのはむつかしい
     ──エセーニンについて              大島博光

わたしの若かった頃* エセーニンが流行(はや)っていた
「月は空に(ルナ・ネーボ) 母はふるさと(マーチェンカ・ロドニーキ) おれ(ミーヤ)はボリシェヴィキ」

だが 美しくひびきあうこの詩句とはうらはらに
ついにエセーニンはボリシェヴィキにはなれなかった

あるとき エセーニンはマヤコフスキーに毒づいた
「アジ・プロ」を書いて詩を殺したのはきみだと

一八九五年 彼はコンスタンチノヴォ村に生まれ
九歳で村を出て 「ロシアの吟遊詩人」になった

一九二四年 彼は生まれ故郷の村に帰ってきた
だが村びとには 彼はただの風来坊でしかなかった

村ではすべてが変っていた コムソモールの妹たちは
聖書のかわりに部厚い『資本論』をひらいていた

村では 新しい若者たちが新しい歌をうたっていた
エセーニンはもう 若者たちには色褪せて見えた

「ああ故郷よ なんとおれは笑われ者になったことか
恥ずかしくて 落ちくぼんだ頬が乾いて赤くなる

村びとのことばが まるでおれには外国語のようだ
生まれ故郷で おれは縁もゆかりもないよそ者だ」

村には新しい風が吹いていた 共同農場があり
集会があり みんなの発言があり 笑いがあり

若者たちの歌うのは もうエセーニンの詩ではない
「ここには おれの詩もおれ自身ももう用がない」

「おれの片足は 過去のなかにはまり込んでいる」
古いロシアの歌に捉われて 彼は前へ進めない

それから二年後 彼は最後の別れの詩を書く
「友よさよなら きみの額を曇らせないでくれ

友よ この人生では 死ぬことは新しくない
だが 生きることは もっともっと新しくない」

こうしてエセーニンは 三十一歳で自ら死んだ
マヤコフスキーは それに答えてこだまを返す

「この人生では 死ぬのは 死ぬのはやさしい
だが人生を建設するのは はるかにむつかしい」

そうしてアラゴンは書く──エセーニンの悲劇は
彼が夢の転換を なしえなかったところにある──

注* わたしの若かった頃──一九三〇年代初期、このエセーニンの詩句がわたしの仲間うちで誰となしに朗誦されていた。それが正しいエセーニンの訳詩なのかどうかを、この詩の作者は知らない。『今野大力・今村恒夫詩集』(新日本出版)の扉には、一九二九年九月二四日の日付で、今野大力が書いた色紙が掲載されている。そこには「エセーニンの詩から」という肩書で、つぎのように書かれている。「月は舌/空はくろがね/母は故郷に/俺はボルシェヴィキ」。
 なお、この「死ぬのはやさしいが……」は、主としてアラゴンの『手の内を見せる』の中の、「夢の転換」Le tournant des revesに拠る。

<『詩人会議』1986年9月号>

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