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ピカソ──鳩は世界じゅうを飛びまわる(1)

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 鳩は世界じゅうを飛びまわる

 一九四八年八月、ポーランドのブレスラウでひらかれた平和大会に、ピカソはエリュアールとともに出席する。大会でピカソは副議長に選ばれ、また発言をもとめて、当時チリで官憲の追及をうけていた友人パブロ・ネルーダの自由を訴えた。かれはまたゲットーの廃墟やアウシュヴィッツなどを訪ねてまわる。
 一九四九年四月のある朝、パリじゅうの街の壁にピカソの鳩が貼りめぐらされていた。──パリのプレイル・ホールでひらかれる第一回世界平和擁護大会のポスターで、黒地に白い鳩をうきたたせていた。
 のちにたいへん有名になるこのポスターの由来には、つぎのようなエピソードがある。大会の組織委員であったアラゴンは、大会のポスターの図案をピカソに依頼していた。ピカソはそのことを忘れていた。ぎりぎりの時間になった。そのときアラゴンは、ある日ピカソのところで、紙ばさみの中にかいま見た鳩のデッサンを思い出した。アラゴンはさっそくグラン・ゾーギュスタン街のピカソのアトリエへ走った。ピカソはそこにいた。鳩もまた紙ばさみの中にいた。
 「きみの好きなようにしたまえ」とピカソはアラゴンに言った。
 アラゴンはその足でムールロ印刷所に行って、ポスターの型や色などを決める。夕方、できあがった石版の刷見本を持って、アラゴンは大会の組織委員たちのところに見せにくる。刷見本の鳩の脚は毛ばだって風変りであったが、みんなが賛成した。こうしてピカソの最初の鳩のポスターが、パリじゅうの壁に貼られることになったのである。
 また、ピカソはこの大会の前日に生まれた自分の娘にパロマ(鳩)と名づけた。
 大会中、ポスターは何千枚となく複製され、群衆はそれをプラカードにして、バルク・デ・プランスのグラウンドを行進した。壇上にいたピカソは驚嘆と悦びにあふれてほかの組織委員たちに言った。
 「なんということだ。これは光栄だね?」
 ピカソはまちがっていなかった。この鳩ほどに、ピカソの大衆的な人気に役立ったものはないからである。
 ピカソの鳩は、その後つづいて数えきれないほど描かれる。一九四九年の最初の鳩は、黒地のうえに白く浮きたっていて、まだ飛び立っていない。彼女はメッセージをとどける人びとの方へ頭をむけて、飛びたつのを待っている。空が黒いのは、ただ鳩の白さを浮きたたせるためであったが、その白さにアラゴンはたいへん感動したといわれる。
 翌一九五〇年、ワルシャワの平和大会に現われた鳩は、左の方へむかって高く飛んでいる。この年は朝鮮戦争が起こった年であり、また全世界に希望をよびおこしたストックホルム・アピールの年である。原爆禁止を要求するこのアピールを、鳩はその力づよい翼で世界じゅうに運んだのであった。そして六億を越えたその署名が、朝鮮戦争において原爆使用もありうるとうそぶいたアメリカの手を抑えつけたのである。
(つづく)

鳩のポスター

新日本新書『ピカソ』 ──「パリの解放と平和の探求 」>
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