ギュヴィック「死体置場」

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死体置場
            ユージェーヌ・ギュヴィック/大島博光訳

咲き乱れている花の間を行って よく見たまえ
野のはずれに 死体置場がある

百にも近い死体が 山のように積み上げられ
まるで巨大な昆虫の腹のようだ
無数の足が 四方八方に伸びて

男か女かは はいている靴でしか分らない
眼玉は むろん流れてしまった

──死者たちもまた
花の咲いている場所を選んだのだ

   *

死体置場の片隅に
軽やかに宙に伸びた あられもない

一本の脚──たしかに
女の脚だ──

一本の若い女の脚だ
黒い靴下をはいて

それから腿(もも)があって
まぎれもない

若い女の──いや何んにもない
何んにもない

   *

下着の布きれは
死体ほど早くは腐らない

そこらじゅうに
固くこわばった生地が見える

下着の下に まだ崩れずに
恥かしそうに身を隠そうとする肉が透(す)けて見える

なぜ死ぬのか どれだけの人が知っていただろう
どれだけの人が 知りながら 死んだだろう
どれだけの人が 何も知らずに 死んだのだろう

その人たちは 涙を流して泣いたのに
いまはみんな 同じような眼をしている

それはもう 骨の中に開いた穴なのだ
あるいは どろどろに溶けてゆく鉛なのだ

   *

彼らは 腐ってゆくことに
うんと 同意してしまった

彼らは 承諾して
おれたちから離れていった

ここで腐ってゆく彼らに
おれたちはもうどうしようもないのだ

   *

出来るだけ
死体を別べつに 引き離してやろう

めいめいを
自分ひとりの穴に 埋めてやろう

いっしょにいると 騒騒しくて
彼らはすっかり黙り込んでしまうのだ

   *

ほんとうに そう言っても
無分別でないとすれば

死体の群は まるで 愛に満たされて
これから眠り込もうとする
女のようだ

   *

死体が口を開けているのは
歌を歌っていたか

勝利を叫んでいたか
その名残りなのだ

さもなければ 恐怖で
顎の骨が ずり落ちたのだ

──いやたぶん ほんのはずみで
土くれが 口へはいったのだ

   *

粘土なのか とろけた人間の肉なのか
もう見分けもつかないような場所がある

大地はどこもかしこも そんな得体の知れない泥で
糊(のり)のようにねばつくのではないのか

   *

もしも すぐにも
彼らが骸骨になってしまえば

ほんとうの骸骨のように
さっぱりとした固い骨になってしまえば

こんな泥にまみれた
塊(かたまり)などにはならぬのだ

   *

われわれのうちの誰が 死体の間に
身を横たえようなどと思うだろう

一時間か 二時間だけでも
彼らを讃え 弔(とむ)らうために

   *

どこにあるのだろう
叫びつづけている傷口は

どこにあるのだろう
あの生身にうけた傷口は

どこにあるのだろう 傷口は
その傷口を 見とどけてやりたい

その傷口を 癒してやりたい

   *

ここに 誰も
安らかに眠りはしない

ここだろうと どこだろうと
決して安らかには眠れないだろう

そこの それらの死体から
残っているものは
残るだろうものは

(『ギュヴィック詩集』飯塚書店 1970年11月)


*一九四五年に書かれ、残虐なナチスの手に仆れた死者たちを生まなましく描くことによって、ナチスを告発している。
「『屍体置場』という詩をどうして書いたかって? 一九四五年五月のある日、(死の収容所で)じっさいにどんなことが起きていたのか、それがわかったからだ。わかり始めたからだ。国外の収容所に連れさられた人たちが帰ってきて、屍体置場の写真が眼に入るようになったからだ。
 その頃、わたしはよくエリュアールといっしょにピカソをアトリエに訪ねて行った。ピカソは多少世俗的なアメリカ人たちの訪問にわずらわされずにいた。その日の昼、わたしたちは三人きりで話しこんだ。その朝、国外に連れさられた人たちの列車の着くのを見にピカソは行ったのだった。……その夜、家へ帰るとわたしは一気に『屍体置場』を書いた。ピカソもー枚の絵を、白い背景の大作を描いて、『屍体置場』と名づけた。」(ギュヴィック「詩を生きる」)
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