コリウール─アントニオ・マチャードの墓(下) Collioure - Machado's grave

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 マチャードの死から数年後の一九四一年十二月、第二次大戦下のフランスで、『パリの虐殺』の作者ジャン・カッスーは、抵抗活動のさなか、南仏のトゥールーズで捕らえられ、軍事刑務所の独房にぶち込まれた。かれはそこで、紙もペンもなしに『独房で作られた三十三のソネット』をつくった。三十三のソネットを暗誦しておいて、公判のために外に出た折に、さっそく紙に書きとったのである。その二十一番目のソネットを、かれは敬愛するマチャードにささげている。なお、ジャン・カッスーもスペイン出身である。

  アントニオ・マチャードの墓
                   ジャン・カッスー

  聖なる魂よ 慈愛にみちたあなたは
  夜の聖女たちを みちびいて
  汚辱の地に 辿りつくが
  あなたの松明(たいまつ)もその地を清めはしない
  
  もはや 砂でしかない国から
  聖女たちは あなたの灰を解き放ち
  明るく飛ぶ小鳥たちのように
  ひろびろとした空にまき散らす

  そこであなたはまた見いだすだろう
  涙にくれた あの深い夏の匂いを
  コリウールの 墓石のほとり

  そこに囚人らは 朽ちはててゆき
  うち砕かれた 怒りの壺のほかは
  もう 何ひとつ 残らないだろう

 わたしもつぎのような詩をマチャードの墓にささげた。

  アントニオ・マチャードの墓
                      大島博光

  地中海の 小さな漁港
  スペインに近い コリウール
  海べの墓地の 糸杉のかげに
  アントニオ・マチャードは眠る

  いち早く ロルカの処刑を
  あばき歌った 詩人もまた
  カスティリヤの狼どもに追われ
  国境を越えて ここに倒れた

  「この墓の下に葬られた時
  彼はもう 引き裂かれていました」
  いあわせた老婆は 話してくれた
  怖るべき思い出をたぐって

  墓石のうえには 菊の鉢植え
  死者を讃(たた)える 紙片(オマージュ)数枚
  スペイン文字のインキの色も
  雨ににじんで 色褪(あ)せて

  横たわった 平らな墓石の裾を
  赤・黄・紫の 三色旗が蔽う
  まるで 墓石をかい抱いて泣く
  黒い眼の スペイン娘のように

  そうだ スペイン人民は国境を越え
  いまも ここコリウールの墓地へ
  花束と涙を ささげにくるのだ
  たたかい倒れた詩人のために

           (この項おわり)

<草稿「詩と詩人たちのふるさと──わがヨーロッパ紀行」>

マチャードの墓

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