スペイン紀行 4. コリウール─アントニオ・マチャードの墓(上) Collioure - Machado's grave

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  コリウール  アントニオ・マチャードの墓(上)
 一九七八年十一月二十二日
 グラナダからまたおんぼろの列車に乗り、地中海の太陽海岸(コスタ・デル・ソル)をくだった。ヴァレンシアの秋の夕焼けの海は、何か夢のなかでみる海のようにうつくしかった。岩の上からリール竿を投げている釣りびとたちの姿も見え、その釣りびとたちがたいへん羨ましかった。わたしもつりきちがいだからである。あんなうす薔薇色に映える、静かな海に向かっていたら、魚(さかな)なんか釣れなくたっていいのだ……

 ヴァルセロナは埃っぽい古い灰色の都市(まち)だ。ローマ時代の遺跡や中世のカテドラルが建っていて、街じゅうがその灰色に調子をあわせているようなところがある。そんななかに、さいきんわが国でも評判になっている、ガウディのサグラーダ・ファミリア贖罪聖堂の尖塔群が夢幻的な色と形でそびえていた。また、ここのピカソ美術館には、ピカソの少年時代からごく初期の繪畫やデッサンが集めてあって、それらの初期の作品のなかに、すでに後年の大ピカソへと発展・展開してゆく萌芽を見ることができて、感慨深かった。ここでは『ゲルニカ』の大判の複製なども賣っていた。
 それからわたしたちは、地中海の絶妙海岸(コート・ド・メルベイユ)に沿って走り、スペインとフランスの国境を越えてまもない小さな町コリウールに降りた。ここの墓地に眠るアントニオ・マチャードの墓に花束をささげるために。
 
 国境を越えるとき、丸い弁当箱をうしろで切ったような、いかめしい帽子をかぶった警官たちが、ものものしい検問をしていた。わたしはふと、スペイン戦争の頃のきびしい検問を想いみた。
 コリウールは小さな漁港でもあるが、夏には押しよせる海水浴客で賑わう、地中海岸の町である。だが十一月ともなれば季節はずれで、たくさんのホテルや別荘はみんな閉ざしていた。一軒だけ、ホテル・タンプリエというのがひらいていて、もう避寒にきているらしい数組の老夫婦が泊まっていた。このホテルの壁という壁は、繪で埋まっている。見るからに下手くそな繪や、しかし楽しい繪が、ぎっしりと懸けてある。このホテルに泊まった画学生や画家たちが置いて行ったのにちがいない。繪がたくさん、たくさんある、といって、ホテルのおやじはそれを自慢していた。食事のとき、下のレストランに坐って、ひょいと前の壁をみると、なんとそこには、ピカソの署名入りの繪や例の鳩のデッサンなど四、五点が飾ってあるではないか。どうやらピカソもこのホテルに泊まったことがあるのかも知れない……
               (つづく)

(『詩と詩人たちのふるさと──わがヨーロッパ紀行』)

サグラダコリウール
La Sagrada Família              Hotel Des Templiers

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