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パリの解放と平和の探求 パリの解放

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 パリの解放と平和の探求

1. パリの解放
 一九四四年八月二十四日、ついにパリが解放され、悪夢のような戦争が終わる。ピカソは八月二十四日から二十九日までの間に、プッサンの「パンの勝利」に霊感をえて、熱狂的な「バッカス祭」──どんちゃん騒ぎを描く。それは、苦闘を経て勝ちほこる自由と生への、ピカソの讃歌である。
 ピカソはふたたび多くの讃美者にかこまれる。詩人や作家たちは、刊行する本の口絵にピカソのデッサンを依頼する。──「ゲルニカ」の画家はナチの占領からフランス国民を解放した勝利の受取人となり、勝利の象徴となり、自由の象徴となる。ルイ・バローは書く。
 「さいきんの出来事によって、もっともなつかしい思い出をかきたてられている人間がいるとすれば、それはまさに画家パブロ・ピカソである。彼は蜂起したパリのなかに、むかしのスペイン人民の英雄的なイメージを見いだした。……彼にとってヨーロッパを見すてて亡命することがきわめて容易だったときに、ピカソは自分が悲惨と栄光をあじわった都市(まち)を見すてることを拒んだ。その都市はかれの名を高からしめたが、その代り彼から多くのものを受取ったのである……パリ市庁広場で、女たちの涙の歓迎のうちに到着した最初の戦車の一台は、大きな白文字で書かれた『ゲルニカ』の名をかかげていた。戦車から降りてきた将校はスペイン人だった。」(「レットル・フランセーズ」一九四四年九月九日)

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