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スペイン紀行 3.ロルカの家 (2) 虐殺はグラナダで行われた

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3.ロルカの家

(2) 虐殺はグラナダで行われた


 ところが、この自由で甘美な詩人は、周知のように、一九三六年八月十九日、フランコ一派のファシストたちによって、このグラナダ郊外、ビスナルのオリーブ畑で銃殺されたのだった。その一ヶ月前、スペイン共和国に襲いかかったフランコ・ファシストは、まるでその出撃の合図ででもあるかのように、いちはやくロルカを血祭りにあげたのである。なによりもロルカの自由の精神が、ファシストたちの怒りと憎しみを買ったのである。先輩の老詩人アントニオ・マチャドは、いち早くロルカの死を詩に書いてファシストの犯罪を告発したのだった。

   虐殺はグラナダで行われた
                    アントニオ・マチャド

  かれは銃にかこまれ
  長い道を とぼとぼ歩き
  まだ 星の残っている朝まだき
  寒い野っ原に 姿を現わした
  やつらは フェデリコを殺した
  そのとき 朝日が昇った
  死刑執行人(ひとごろし)の一隊は
  かれをまともに見ることができなかった
  やつらは みんな眼を閉じて祈った
  ──神さえも 救えはしない!
  かれ フェデリコは倒れ 死んだ
  ──額から血を流し 腹に鉛をぶち込まれて
  虐殺はグラナダで行われた
  知ってるか──哀れなグラナダよ
  フェデリコのグラナダよ

  ・・・
  とぼとぼと歩いてゆく二人の姿が見えた

  友よ わたしのために建ててくれ
  石と夢の墓を──詩人のために
  アランブラの
  すすり泣く 泉のほとりに
  そうして 永遠に伝えてくれ
  虐殺は グラナダで行われた と
  かれのふるさと グラナダで行われたと

 はじめてこの詩を読んだとき、わたしはまだアランブラ宮殿のことはよく知らなかった。そのアランブラ宮殿を見てみると、「アランブラの/すすり泣く 泉のほとりに」という詩句が、遠いむかしの悲劇と現代のそれとを結びつけて、言いようもなく美しく適切なものに思えるのであった。

(つづく)

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