アラゴンは脱党したのだろうか

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 アラゴンは脱党したのだろうか
                       大島博光

 わたしは亥能春人氏の「シュルレアリズム 論覚書」(『柵』一九九五年三月号)を興味ぶかく読んだ。そのなかで氏は「アラゴンは脱党した」と書いている。アラゴンのような詩人にとって「脱党」ということは重大な問題なので、その点について、わたしにわかっていることを書いてみたい。
 端的に言って、わたしの手もとにある資料でみるかぎり、「アラゴンが脱党した」という記述も指摘もみいだすことはできない。
 一九八二年十二月二十四日、アラゴンはパリ七区ヴァランヌ街において八十五歳で死んだ。アラゴンの死にたいして、フランス共産党は盛大な党葬をもってこたえた。十二月二十八日、パリ十九区コロネル・ファビヤン広場に面したフランス共産党本部のガラス張りのビルには、アラゴンを追悼する長い垂れ幕がさげられ、(その写真が「ユマニテ」紙に掲載されていた)その前庭で、大衆的な告別式がおこなわれた。党紙「ユマニテ」は部厚い「アラゴン追悼」特別号を組んだ。詩人マルスナックはつぎのような弔辞を書いた。
 「死んだのはひとりの貴公子ではない。それは生涯、他者をみいだすために作品と行動をささげたひとりの男である。………個人的な天才の限界を越えて、彼は、書くことと、愛、事件によって教えられ、学んだ人びとにぞくしている。彼は「われ」から「われわれ」への移行にたいへん貢献した。この移行は恐らくわれわれの時代の根本的な知的変化であろう」
 「ユマニテ」特別号はまたアラゴンの詩『詩人たち』(一九六〇年)のエピローグを掲載した。あたかも詩人ののこした遺言のように。その抜粋はつぎのようなものである。

  詩人たち─エピローグ(抄)

 わたしは生と死のあわいに坐っている 眼を俯せて手には何ひとつない
 そして潮騒のきこえてくる海は 溺れた者たちを二度と返さない
 そうしてわたしのなきあと わたしの魂はまき散らされ
 わたしの砕かれた夢はせりにかけられよう
 みたまえ もうわたしのことばは わたしの湿ったくちびるで木の葉のように乾く

 腕をひろくひらいて わたしはこの詩を書こう
  激しく脈うつわたしの心臓が聞こえるように
 もう死んでもかまわぬ わたしは歌おう
  おのれの咽喉と 声を越えて おのれの息と歌を越えて
 わたしは草刈りに夢中になった草刈り人だ おのれの人生や畑を荒らし放題だ
 息を切らして時をつぶし やみくもに鎌を振りおろし 振りまわす

 この世はありとあらゆる風の吹きぬける大きな陰気な城にも似ていよう
  吹きぬける風に扉は鳴るがどの部屋も閉まりはしない
 そこに名もない疲れた哀れな人たちが坐っている
  なぜかある者たちは武装している
 堀には草が伸びてしまって もう城の堕(おとし)格子をおろすこともできない
 とにかく古参だろうと新参だろうとわれわれには
  この住まいは住み心地がよくない
 どうしてここに連れて来られたのか きっとだれにもわからない
 あるものは寒さにふるえ あるものは腹ぺこで 大方のものが身を喰む秘密をもつ
 ときどき得体の知れない王公が通りすぎると その前にみんなが膝まずいた

 わたしの若かったころ いまにも天使たちが勝利するだろうという話だった
 ああ それをわたしはどんなに信じたことか どんなに
  そしていまやわたしは老いぼれた
 若者たちの時間は若者には 絶えず眼に落ちてくるほつれ毛のようなものだ
 だが 老人たちにとって風むきが変わるには
  残った時間はあまりに重くあまりに短かすぎる

 老人たちは考える この世の重要な問題について
  身をささげるに足る事業について
 かれらはいまは放棄しているが あの巨大な建設現場を
  走りまわってなしとげた僅かばかりのものをその眼に見る
 犬は影に見とれて口に咬えた餌ものを落した おお 貧しい人びとよ
  未来はだれのものでもない
 街なかで遊んでる子どもたちよ わたしはどれほどきみたちを憐んだことか

 きみらの前途にあるすべてをわたしは見る
   不幸を 血を 失意落胆を
 われわれの描いた夢や われわれのつまずいたことは
 何ひとつきみらにはわからないだろう
 われわれは何ひとつきみらの役には立たなかったろう が
  こんどはきみらが骨を折る番だ
 わたしには肩を落とすきみらが見える きみらの額の古いしきたりの皺が見える

 そうしてきみらのうえに途方もない勝利の太陽の輝くような日がやってくる
 思い出してもみたまえ われわれもそれをよく知っているある人びとが
 奴隷の旗をもぎとろうとアクロポリスに駆け登ったことを
  そうしてうち倒されたことを
 その人たちとその栄光はいまもなお歴史の共同墓地に喘いでいる

 思ってもみたまえ 闘争はけっして止むことがない 三度ぐらい勝ってもなんにもならぬ
 そうして人間は人間にたいして責任がある以上 ふたたびすべてが問題となる
 というのも どれが悪で どれが善か 見わけるのはいつも容易ではないからだ

 いましがたわれわれの通った道をきみらも通るだろう
  開いた本を読むようにわたしはきみらのことを読みとる
 きみらの心臓の脈うつのが まるでわたしの胸で脈うっている心臓のように聞こえる
 きみらもその心臓を擦り切らすだろう わたしは知ってる
  どのようにきみの胸のそのものが衰えて黙りこむか
 どのようにして秋は色褪せて 冬のバラのまわりに沈黙がやってくるのか

 このことをわたしは勇気をくじくために言うのではない
  虚無にうち勝つためには
 虚無を面とむかって見つめねばならぬ 歌は傾き弱まるときにも美しい
 さらに歌が丘のうえにこだまとなってよみがえるのを 聞くことができねばならぬ
 この世界で歌うのはわれわれだけではない
  ドラマは いろんな歌による合唱なのだ

 ドラマでは おのれの役割を果すすべを知らねばならぬ
  ひとつの声が黙りこんでも
 奥深い合唱はいつも途ぎれた歌をふたたびうたい始めることを知りたまえ
 歌い手は おのれの力のかぎり できるかぎりをつくしたのだから
 道なかばで きみらがわたしを ひとつの仮説のように棄てさろうとも かまわない

 わたしはきみらにわたしの番をゆずろう 最後に立ち上がった踊り手のように
 たとえ彼の暗い内部にあるものが すでに彼の眼のなかに現われていても
  彼を責めないでほしい
 このほの暗い光のほかには わたしがきみらにおくる贈り物はないのだ
 明日(あす)の人びとよ 炭火を吹き起こしてくれたまえ
  きみたちにこそわたしは見たことを語るのだから

 このように、フランス共産党はアラゴンの死に党葬をもって遇した。もしもアラゴンが脱党していたなら、こういうことにはならなかったであろう。脱党した者の死を党葬でおくるようなことは考えられないからである。したがって彼は組織としての党からは脱(ぬ)けなかったことになろう。「詩人たち」の「エピローグ」をみてみよう。この詩において、アラゴンはその精神においても、詩人としても、党から脱けていない。詩人は、マルスナックの言ったように、「われわれ」のひとりとして、心を砕いて「他者」に思いを馳せ、他者によびかけ、「明日の人びと」によびかけているからである。その調子は、ピエル・デックスが「こう書いたときアラゴンは偉大さに到達し、とつぜん彼の真の高みに立つ」と言った言葉を思い出させずにはおかない。「アラゴン事件」を通過して彼はこの地点に到達したのである。
 詩人は「ストラスブール大学の歌」のなかでこう歌った。

 教えるとは 希望を語ること
 学ぶとは 誠実を胸にきざむこと

 スターリンによる人類にたいする犯罪に遭遇して、彼はみずからひきさかれるような絶望をなめながらも、生涯、希望を手放すことなく、誠実をまもりとおしたといえよう。それをかれは「ほの暗い光」とも呼んだのだった。
       一九九五年三月

(『柵』一九九五年五月号)
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