香りもない花束──わが師西條八十の思い出に

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 香りもない花束
  ──わが師西條八十の思い出に
                    大島博光

いつか わが身もこころも老いさらばえて
遠い春の日をはるかに思いかえしても
すべては茫漠とかすんで 墨絵のようだ
だが墨絵ながらにわたしは書いておこう
わが師西條八十の思い出のはしばしを
先生にささげるには あまりに貧しく
色どりもなく香りもない花束であろうと
   *
思い出せば わが春の日も輝いていた
あの六月の 奥利根のみどりのように
われら 十人あまりの仏文科の学生を
先生は 水上温泉へひき連れて行った
まるで 小学生たちの遠足のように・・・

夕ぐれて 西日がまぶしく射していた
宿の広間には 膳と酒とが並べられ
詩人の司祭する 青春の祭りが始まった
おお 湧きあがった笑いよ 歌ごえよ
だが 若わかしかった先生もとうに亡く
あの時の若者たちは どこにいるだろう
   *
早稲田のキャンパスの近くの喫茶店で
わたしたちは 先生を囲んで坐っていた
先生のヴェルレーヌの話がおもしろかった
ということくらいしか おばえていない
しかし そのとき 先生の前にあった
チキンライスのだいだい色だけは
鮮やかにいまもわたしの眼に見える
   *
その頃わたしは やみくもに反抗を養っていた
ひとりよがりの コップのなかの反抗を──
そうして卒業論文にランボオを書いた
いかめしかった吉江先生とならんで
微笑みながら先生はそれを講評された
   *
その後 わたしは先生の近くで、八年
「蝋人形」の編集をすることになる
おお 柏木三丁目の西條邸の茶の間よ
赤松に石燈籠をあしらった芝生の庭よ
女子大生だった嫩子さんが姿を現わす

わたしは二日も三日も酔いつぶれたり
あやまちやふてぎわを犯したのに
先生は一度もわたしを叱らなかった
   *
いつか先生は 風邪でベッドに臥せていた
見舞にゆくと先生はわたしに言った
「からだじゅう 霜柱だらけだよ」──
先生はイメージで感じイメージで考え
すべては泉からのように溢れ出たのだ・・・
   *
廊下の電話ボックスがけたたましく鳴った
山本五十六大将の戦死が告げられた
そんな状況の中で「一握の玻璃」は書かれた

はじめて読んだわたしはめまいがした
やわらかい言葉の ふしぎなつらなり
イメージとイメージの ふしぎな出会い
円熟の詩技がその高みであみだしたのは
まぼろしの孔雀も猿もあらわれぬめたふおる
そして 言葉の音楽 めたふいじっく
また さんぼりすむ・しゆうるれありすむ
   *
「歌謡(うた)は あれは職業(メッチェ)だからね」と
ある時 先生は自嘲するように言った
だがわたしには「一握の玻璃」の詩人と
ランバルディヤンの先生しか見えなかった
   *
先生はアルチュル・ランボオをこよなく愛し
生涯 愛しつづけて倦むことがなかった
夏 日光の「花屋敷」へ行くときも
また 伊豆の大仁ホテルに行くときも
鞄には数冊のランボオ研究書が入っていた

B29による 東京空襲は烈しくなった
先生は 下館の旧家の別荘に疎開した
そこの書斎でも先生は 大島つむぎを着て
フランス語のランボオ研究書に向っていた

やがてそれは 大冊の「ランボオ研究」となる
長い長い持続のはての みごとな果実

ある時 先生は言った「生きていたランボオは
さぞつきあいにくい男だったろうねぇ」と
反抗に燃えてパリ・コミューヌをほめ讃え
パリのブルジョワどもを罵倒したランボオを
先生は「若者の若気のいたり」と書いた
その「若者の若気のいたり」をわたしは
生涯 つづけることになってしまった
わたしはまことに不肖の弟子だった

もしも このようなものを書く機会が
もしも わたしに与えられなかったら
わたしは 先生について何ひとつとして
書かずじまいに過ぎるところだった
わたしはまことに わるい弟子だった
   *
この夏もわたしはシャルルヴィルを訪れた
駅前の辻公園を通りながらわたしは想った
五十年むかしここを歩いて行った先生のことを
大通りの紅すももの街路樹が北国(ノール)の空に
暗いえび茶色の茂みをかざしていた
そして流れるともない濃緑のムーズの岸に
石造りの水車小屋ランボオ博物館は立っていた
遠い東洋の詩人の訪れたことなど知らぬげに・・・

(一九八〇年八月十四日 パリ・コロネル・ファビヤン広場のほとりで)


<『無限』一九八〇年八月号、『大島博光全詩集』>
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