講演会「信州モンパルナスの詩人たち」

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柳沢さつき

詩人の柳沢さつきさんが戦前の詩誌『信州モンパルナス』と、それに関係した詩人たちについて話しました。
初めにパリ地図を使ってモンパルナスの位置を説明。モンマルトルと間違えやすいが、モンパルナスはパリの南、モンマルトルは北にあります。

柳沢さつき

島崎藤村と日夏耿之介、二人の大物の詩論を冒頭に置いた由来をお話し。
若手リーダー大島博光が『信州モンパルナス』の名付け親で、「詩と詩人について」を書いた。
高橋玄一郎を編集・発行人として昭和15年に創刊されたが、翌昭和16年12月9日、真珠湾攻撃の翌朝、高橋玄一郎は治安維持法違反容疑で逮捕され、2号は実現しなかった。
清沢清志は吉行エイスケと親交、穂高を文化活動の拠点とした。
(清沢清志の詩「山の絵はがき」を朗読)
文中の哲一郎は一人息子だったが、早稲田大学文学部在学中に学徒動員され戦死。戦後になり清沢清志は友人が持ち込んだメチルアルコールを飲んで失明した。
昭和36年10月、清沢清志3周忌にあたって「清沢清志追悼大島博光現代詩講演会」が松本で開かれ、「新しい詩の方向」(資料添付)という題の講演をした。主催した「緑地」詩話会は20〜30才代が中心の詩のサークルで、後押ししていた高橋玄一郎が大島博光を呼んだ。
「緑地」詩話会には信州大学文理学部の学生も加わっていた。信州大学の前身の松本高校には西條八十の子息・八束さんが在学していた。西條八束夫妻とはお二人の絵の展覧会の縁で知り合い、青木湖の別荘にも伺ったことがある。詩誌『無限』西條八十特集号を頂いたが、そこに博光が「香りもない花束」を書いている。
(『無限』を提示して朗読)

 香りもない花束
  ──わが師西條八十の思い出に

いつか わが身もこころも老いさらばえて
遠い春の日をはるかに思いかえしても
すべては茫漠とかすんで 墨絵のようだ
だが墨絵ながらにわたしは書いておこう
わが師西條八十の思い出のはしばしを
先生にささげるには あまりに貧しく
色どりもなく香りもない花束であろうと
   *
思い出せば わが春の日も輝いていた
あの六月の 奥利根のみどりのように
われら 十人あまりの仏文科の学生を
先生は 水上温泉へひき連れて行った
まるで 小学生たちの遠足のように・・・

夕ぐれて 西日がまぶしく射していた
宿の広間には 膳と酒とが並べられ
詩人の司祭する 青春の祭りが始まった
おお 湧きあがった笑いよ 歌ごえよ
だが 若わかしかった先生もとうに亡く
あの時の若者たちは どこにいるだろう
・・・
 
(大島博光全詩集から「パリの王様」を朗読)

 モンパルナスの駅前に聳え立った
 シェラトンホテルの十階あたり
 わたしのとった部屋の窓は
 パリの街にむかって開いていた
 ・・・

さいごに大島博光全詩集から「ランボオ」を朗読、詩人大島博光はランボオから始まり、ランボオに終わったと結びました。

柳沢さつき
柳沢さつき
柳沢さつき

・まるまる2時間立ちっぱなしで明晰に話された。内容も面白かった。
・詩の朗読に感動した。
・文学の話は久しくを聞いてなかったので勉強になった、感動した。偶然参加したが良かった。
・知らない世界に行ったようで、とても面白かった。

柳沢さつき
柳沢さつき
柳沢さつき
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