清沢清志追悼講演「新しい詩の方向」

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 新しい詩の方向
                  講師 大島博光先生

 私が清沢さんにはじめてお目にかかったのは昭和十三年ごろのことでした。清沢さんのいわゆる「ダダの古城」で高橋玄一郎さんや星林(詩誌)の人たちと会ったときでした。昭和十三年というと日本のプロレタリア文学運動が官憲のひどい弾圧を受け、ほとんど火の消えたような時代でした。当時私は、シュールレアリズム運動の影響を受けて、シュールレアリズムまがいの詩を書いていたものでかってプロレタリア文学運動のあったことも知らない状態でした。
 こんど清沢さんの追悼講演会におまねきいただいたときも、実は生来話がつたない上に、あまり深い交際もなかったので、お引き受けする資格もないと思いましたが、一、二度お目にかかった清沢さんのお人柄がまれに見る心の広い、寛容な、詩人らしい雰囲気に満ちた人柄でよい兄貴のような感じを持ちました。このために、どうしても来てみたいと思ったわけでした。
 今日の私の講演の主題は「詩」ということですが、それについて二、三お話して見たいと思います。いま私たちの詩は具体性がなく、観念的、抽象的で、おもしろ味がないことがあげられます。清沢さんも含めた日本のダダ運動は、詩の中では今日、大きな跡を残していないと思います。たとえばフランスではダダ運動はシュールに受けつがれ、シュールレアリズムとして発展してきました。この場合は第一次世界大戦のあとの混乱の中で(ちょうど私たちでは戦争のあと、一面に解放感があったが)フランスでは、解放感の中に、絶望的をものが尾を引いて何か方向のないものが、少なくとも小ブルジョア、インテリゲンチャに多かったといえます。
 つまり日本の詩人は、私もそうですが、戦後、共産党に入ったのです。これもはっきりした見通しはなく、ただ、いままでのやり方ではだめだという考えだったのですが、この型がフランスの小ブルジョアの中で起ったのです。
 シュールの運動が戦争最中に、かなり日本の詩壇、詩人の中に影響をおよぼしたわけですが、シュールの中の反抗的な、古いものに対する革命的な精神はオミットされ、上べのモードだけが互いに影響を与えたようだといえます。今日、アバンギャルドという型がリバイバルしています。だが、ここで新しいものについて考えてみますと、新しいもの、精神を含めた総合的な意味での新しいもの、詩における新しいものは、いまではシュールの単なる夢の描写無意識での自動記述──などの手法は新しいものではなく、他にあると思います。
 というのは、私たちの今日の芸術運動は、単に個人主義的な内面、古い資本主義イデオロギーの本質の内部精神をどのように表現しようが、とらえようが本質的に古いと考えられます。つまり、ある種の詩人たちが、主体的でなければならないということが、詩の評価の基準になっていますが、実はこの主体性とは、個人的主体から、社会的、集団的に移らなくては、今日的な意味は薄いのです。たとえば清沢氏らの前衛演劇は革命的な要請に応えて出てきたものです。今日、前衛の詩人たちがアバンギャルドといいながらも、むしろ、アナーキーな、後ろ向き個人主義的な、見通しのない方向に向いているといえましょう。この場合、技法は新しいように見えても、大衆の要求にも応えない。したがって本当の意味の前衛芸術ではないと考えます。詩でいうならば、たとえば、石川啄木の数少ない詩を思い出しても、当時は新しかったかも知れませんが、その後、啄木のあとプロレタリア詩人が、移って行ったかも知れないが、プロレタリア詩人の伝統弱点、功績を、私たちははっきりうけつげないでいます。(私などもフランスの詩から書いている状態ですが)しかし、芸術運動は、それ自身の内部の論理といいますか、そういったものを持っていまして、新しい時代の社会的、大衆の要請にたって、必ず発展して行くものだと希望は持っています。
 たとへば清沢さんが一面では書かない詩人であったけれど、文化的な演劇運動で起こした願望は、新しい型で私たちの中で、花ひらき発展して行くと思うのです。

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(付記)この速記録は信陽新聞十一月三日付に載ったもので、同新聞社の中野幹久氏の好意により全文借用しました。
 当日は県詩人協会事務局から西山氏が出席され、他清沢清志氏の関係者並びに一般参加者を交え、二十数名という詩関係の会合としてはなかなかの盛会でしたが、連絡不備のため会員の出席状況が極めて悪かったことは反省しなければならないと思います。
 次に「清沢清志」について記しておきますが、故人が果たした業績は今日に連続はしておりませんけれど、その意図は大いにくんで我々の手でよみがえらし再び強固な運動として展開しようではありませんか。
 清沢清志・・・南安穂高町出身、青山学院卒業後、日本プロレタリア演劇同盟に加わり、昭和初期官憲の弾圧の中で、中信地方に新しい芸術運動を起した。
(十月二十九日 清沢清志追悼大島博光現代詩講演会より) 
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(「緑地」11号:柳沢さつき氏提供)
──昭和36年10月29日に行なわれた「清沢清志追悼大島博光現代詩講演会」の内容が残されていました──
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