第二次世界大戦中のピカソ (4) 羊を抱いた男

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 羊を抱いた男

 占領下の戦争の雰囲気がもっとも感じられるのは、恐らく静物においてである。貧弱でみじめな朝食、からっぽのシチュー鍋、コーヒーのはいっていないコーヒー沸し、──それらのそばにある蠟燭立てが、お通夜のような雰囲気をかもし出している。
 また、「トマトの植込み」は占領下の飢えた女たちがバルコンで丹精こめて育てたトマトにほかならない。
 さらに「アルティショを持つ女」では、若い娘が誇らかに、激しい想いを秘めて、アルティショ(サラダ用の野菜ちしゃ)を、まるで武器のように握っている。
 また友人フリオ・ゴンザレスの死後に描いた「牡牛の頭蓋骨のある風景」(一九四二年)には、戦争そのものが内在しているといえよう。ここでは戦争がピカソの絵画意識をとおして形象化されているのである。
 さて、占領下の悪条件のもとでも、ピカソは彫刻の制作を捨ててない。一九四一年にはドラ・マールの大きな頭部が彫刻される。この美しい感動的な頭部は、こんにちサン・ジェルマン・デ・プレのアポリネール辻公園の木蔭に置かれている。その迫力は一度見たら忘れられない印象をあたえる。
 一九四四年には、有名な「羊を抱いた男」が制作される。それについて、ピカソはブラッサイに語っている。
 「ボワジュール以来、わたしはちょっとばかし彫刻を放ったらかしてきた……ところが突然、占領下でわたしは彫刻にとりつかれた。わたしはもうパリを離れられなかったので、浴室を彫刻のアトリエに改造した。浴室はこの大きなバラックの中で、ただひとつ暖房のきく部屋だった。そこでわたしは大部分の彫刻をつくった。……」
「羊を抱いた男」のイメージは、最初、田舎の羊飼いの一場面のように見えるが、だんだん象徴的になる。羊の頭が悲壮な呼びかけを表現しているのに応じて、羊飼いは一種の予言者となる。ピカソは戦争が人びとのうちに呼びさます不安、希望、惨めな人間への同情、連帯、優しさなどを、この独創的なイメージのうちに結晶させたのである。ここで、あのエリュアールのうつくしい解説のなかの言葉を、もう一度思い出してみよう。
「…ゲル二カの焼け焦げた樫の木のしたに、ゲルニカの廃墟のうえに、ゲルニカの澄んだ空のしたに、ひとりの男が帰ってきた。腕のなかには鳴く仔山羊を抱え、心のなかには一羽の鳩を抱いていた。かれはすべての人びとのために、きよらかな反抗の歌をうたうのだ。愛にはありがとうと言い、圧制には反対だと叫ぶ、反抗の歌を。……」(白石書店『レジスタンスと詩人たち』三五ページ)
 ファシスムの台頭に直面して、ピカソは「ゲルニカ」によってスペイン的なものをとりあげたが、ここでも、「羊の献納」という古い地中海の伝統をふたたびうけついだのである。レジスタンスのなかで、アラゴンやエリュアールのような共産党員詩人は、古典的で平明な形式にむかい、国民的な遺産をうけついだが、「羊を抱く男」がこのような伝統的潮流と一致したとしても、偶然ではなかろう。

羊を抱いた男
羊を抱いた男"

──この項おわり──

<新日本新書『ピカソ』 ──「第二次世界大戦中のピカソ 」>
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