第二次世界大戦中のピカソ (3)

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 (夜間外出禁止令)

 一九四二年の後半になると、状勢は大きく変化する。ドイツ軍はスターリングラードに釘づけにされ、連合軍の北アフリカ上陸作戦が成功する。フランス全体が占領下に置かれるようになったため、レジスタンスの運動が飛躍的に大きくなる。それは、ピカソやその友人たちにも影響をあたえる。
 一九四二年六月六日付の「コメディア」紙に、ヴュラマンクの告発が現われた。
 「パブロ・ピカソには、フランス絵画をきわめて破滅的な袋小路にひきずりこみ、筆舌につくせぬ混乱におとしいれた罪がある。一九〇〇年から一九三〇年にかけて、彼はフランス絵画を否定へ、無力へ、死へとみちびいた……ピカソは数世代の芸術家にとって、制作と生活における『創造精神』をにぶらせ、信頼や誠実さを消しさった」
 この一文は逆に、ピカソと若い画家たちやレジスタンスの知識人たちとの連帯をつよめることになる。
 ピカソはのちにフランス共産党に入党することになるが、そこへ到達するピカソの足どりを理解するためには、「ゲルニカ」以来のピカソの芸術、生活、政治情勢の推移などのかかわりあいを見ておかなければならない。
一九四二年の初め、エリュアールは共産党に再入党した。
(彼は一九二六年〜一九二七年の数ヶ月党員であった)この頃、エリュアールはつぎのような詩を書いている。

   夜間外出禁止令

 どうすればいい 戸口は見張られていた
 どうすればいい われらは閉じこめられていた
 どうすればいい 通りは柵で塞がれていた
 どうすればいい 都(まち)は抑えつけられていた
 どうすればいい 都(まち)は飢えていた
 どうすればいい われらには武器がなかった
 どうすればいい 夜がやってきた
 どうすればいい われらは愛しあっている

 一九四二年の夏、エリュアールは地下にもぐる。ピカソは親友エリュアールのこの政治活動を眼のあたりに見て、同意をあたえる。しかし、ピカソが入党を決意するまでには、さらに準備期間が必要である。
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