宮澤民司さんご逝去

ここでは、「宮澤民司さんご逝去」 に関する記事を紹介しています。
宮澤民司さんご逝去

長野県長水地区。10月11日死去、95才。47年入党。元党支部長。

<戦後わたしも加わって「更埴地区委員会」を創った頃は 同志も少なく しかし夢にみちたロマンチィクな頃でした>と大島博光が書いています。
<わたしがいつも映画のひとこまのように思い出すイメージある。冬枯れた山の村の斜面の道を、小さな赤旗をおし立てて若者の一団が革命歌をうたいながらつき進んでゆく・・・。たしか1947年の戦後二回目の総選挙のときのイメージである。そのときわたしは信州の松代にいて、若い同志たちといっしょに周辺の村村を選挙闘争の演説をしたり、集会をひらいてまわって歩いた。まだ自動車(くるま)も何もない時代であったから、あのような牧歌的(?)な、叙事詩的なイメージが成り立ったのかも知れない。そのときの燃えたつような高揚と希望をわたしはいまも忘れることができない。それはいわば、わたしの戦後の出発の原体験となった。(「第17回多喜二・百合子賞 受賞の感想」『赤旗』1985年2月20日)>

 大島博光が入党したのが1946年、宮澤民司さんはその翌年に党員になり更埴地区の同志として活動しました。
当時牛を飼っていて、乳価闘争や様々な闘いをしてきました。その後、株式会社長野ビニール加工を設立、仕事でも誠実さを貫きました。党の活動資金のために牛を手放すことも厭わなかった・・・と話を聞いた記憶があります。
社会の進歩への確信は揺るがず、みごとなものでした。赤旗のおすすめに歩いても、日頃のその誠実さを知っている人は、耳をかたむけてくれました。全てに誠実さの人でした。
大島博光記念館設立の時は、同じ時を同じ村で過ごしたことの有る同志として、心から喜んでくれ、最後まで応援をしてくれました。夫婦なかよくいつも一緒に出かけていた、宮澤さんの静かな笑顔を思い浮かべながらご冥福をお祈りいたします。
関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/1938-d16669a0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック