夢のようなパリ郊外のゴーシュロンの邸宅──尾池さんの話

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尾池さんと

 最晩年の祖父の身辺をお世話してくださり、また「大島博光語録」の貴重な資料を残してくださった尾池和子さんに、お話しをお聞きすることができました。尾池さんの話される祖父の姿は、私の小さかった頃に接した祖父のそれと多く重なるものでありながら、尾池さんの親しみのこもったお話しを通して浮びあがるのは、人間味の溢れたあたたかな、生き生きとした新鮮な祖父の姿でした。私の記憶の回路のなかではいくぶん遠い場所にいた祖父が、より身近になって、すぐそこにいるように思われてなりません。祖父の記憶をたぐり寄せることは、少年の頃の自分をたぐり寄せることにほかならず、そこに私は忘れ去っていたはずの自分自身の姿を、当時の祖父の姿とともにふいに垣間見ることができるのです。尾池さんのお話しを聞いていくなかで、私はこの摑んでは消えそうな記憶を蔽う靄が、少しづつ晴れていくのを、ある種の感慨をもって覚えました。自分の記憶が、ただ自分の意識のみに属しているのではなく、ある人や事物を通してはじめて明るみに出るという、あの記憶作用の法則を肌で感じた、ということなのでしょうか。
 尾池さんがフランスで、大島博光記念館オープンのメッセージをもらいにジャック・ゴーシュロンにお会いしに行かれた話しも印象に残ったものです。パリ郊外の小高い丘の上に邸宅があって、季節ごとに太陽の沈む場所が移りゆくのを眺められるのよ、と優雅にもゴーシュロン夫人が言われたという、色彩豊かな「夢のような」ところだったとのことです。尾池さんのお話しを聞いただけで、フランスの明るい風光明媚な景色が眼の前に広がるようでした。文字の上での存在でしかなったゴーシュロンが、尾池さんを通してこれまた身近な、ひとりの実際の人物として目に浮かぶ感覚には、不思議なものがあります。「今度ぜひ行かれるといいですよ」と、まるでひょいと簡単に行ける行楽地のように、尾池さんは言われました。私にとってはフランスは文字通り「夢のような」の場所なのですが…。
 尾池和子様 今後とも、記念館へのお力添えを、どうぞよろしくお願い申し上げます。 
 重田

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