『ピノチェト・ノー』勝利の前夜 現地からのレポート(下)The previous night of the victory of "Pinochet no"

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壁 画 Mural

壁画

 チリの反政府勢力、とくに左派の芸術のひとつに壁画(ムラル)がある。二十四日のリサイタルの舞台となった公園の南側に面した教会の壁にも数十メートルにわたる壁画がみられた。人民連合時代から有名だった共産党系のラモナ・パラ隊をはじめ、さまざまな壁画グループが、自由を求める民衆の闘いをカラフルに、力強いタッチで描いた。
 「勇気のこもった歌は、永遠に新しい」というビクトル・ハラ作「マニフィエスト」の一節の横で、こぶしを振り挙げた若者のもつギターの共鳴穴から、四羽の白い鳩がとびたつ。胸から血を流し横たわる女を両手で抱きあげ、前方を見つめる男、彼の方にふりむき両手を広げ、「さあ、行こう。」と呼びかける長髪の若者、その横には褐色の上半身をさらし、棍棒で黒ずくめの男を攻撃する先住民アラウカーノスの男、その前ではもう一人のアラウカーノスの勇士が頭上にふりあげた鎖を断ち切る。さらにその右には、チリの国旗をなびかせ、馬に乗ったアラウカーノスの勇士を先頭に、男が女がこぶしをふり上げながら進んでくる・・・。
 チリの壁画の大部分はいわば時間芸術だ。ポブラシオンの内部以外の場所では、当局の手により数日以内に消されてしまう。しかし、チリ民衆の自由への希望と想像力そのものを消すことはできない。チリの街に壁というものが存在するかぎり彼らは描き続けるだろう。ある絵にはヘルメットをかぶった三人の鉱夫の顔の横にこう書かれていた。「独裁制に反対し、天まで描こう。」

 「ノー」のバッチ

 八月ぐらいから、「ノー」と書かれたバッチをつけて街を歩く人々の姿が目立つようになった。これはサンチアゴの中心街の路上や反政府集会などで売っているものだ。単に「ノー」、あるいは「勝利するまでノーを」という文字の書かれたものから、人気風刺漫画のキャラクターの女の子マファルダのにっこり笑った顔の上に赤い字で「ノー」と書かれたもの、スヌーピーが白い壁に赤ペンキで「ノー」と書いているもの、銃剣をかついで左方向に行進する軍人の隊列から抜けたひとりが赤いバラを掲げて石に歩いていく姿を描いたものまで、ユーモアと芸術性にあふれた実にさまざまのバッチがある。
 政府支持派もこれはいかん、とばかりバッチを売り出した。模倣は彼らの専売特許だ。しかし実に能がない。白地に赤青の二重線で「シー(イエス)」と書かれているものだけだ。
 街を行く人々を見ても「ノー」のバッチをつけた人の方が圧倒的に目立つ。これは、ノーの支持者の方が多いということだけではなく、彼らが人前で政府への反対表明することを恐れなくなったという重要な事実を示している。

ガラガラの軍事パレードとフォンダ「ウマノィデ」

 ピノチェ候補への人気のなさを如実に示したのは、九月十九日、オヒギンス公園で行なわれた軍事パレードだ。アジェンデ時代まではサンチアゴ市民の楽しみの一つで、みな弁当を持ち、家族連れで見にいったというパレードも、ピノチェ期に入るとずいぶん人気がおちたようだ。
 今年のパレードをテレビで見た。軍人、カラビネ一口ス関係者などは家族ぐるみで出席しているはずだが、それにもかかわらす、テレビカメラのとらえる客席はあわれなほどガラガラであった。黒いサングラスをかけたCNI(国家情報局)の屈強な男たちに囲まれ、ピノチェが入場してくると、ガラガラの見物席からピーピーとこれをヤジる口笛が聞こえてきた。一緒に見ていた友人は、こんなことははじめて見たと楽しそうに笑っていた。選挙を二週間前にひかえ、重要な選挙効果を持つはずであったパレードは、完全に裏目にでたといえる。
 さて、パレードが行なわれたオヒギンス公園の一角に林立したフォンダ(臨時木造酒場)は、独立記念祭の最終日をむかえ、実に多くの人でごったがえしていた。もちろんノーのバッチをつけた人も多い。もともとぶどうからつくる飲料チチャやワインをのみクエカやクンビアを踊るフォンダも、今年は異色のものが見られた。最も人気のあったフォンダが「フォンダ21・もとウマノイデ」。「21」は整理番号、「ウマノイデ」とは、先日メリーノ提督が反政府勢力につけた名で、「外国(特にソ連)に操られた人造人間」という意味だ。これに対抗しわざと「ウマノイデ」という名のフォンダを出そうとしたところ、区長に禁止されたため「もとウマノイデ」と改名?したのだ。満席の店内では、ロック・グループが反体制的な歌を演奏し、店内の客から外で立ち見している人まで一緒になって手拍子をとってこれに応えていた。右派の一部から中道、左派まで幅広い反政府勢力にマルクス主義者の短絡的レッテルを貼ることにより少しでも浮動票を獲得しようとしたメリーノの発言もむなしく、みんな心から楽しそうにウマノイデしていた。
 国民投票を目前にひかえた九月のサンチアゴは反ピノチェの気運にあふれていた。あまりにも長い間拒否されてきた自由を求めるチリ民衆の創造性と不屈の精神が歌・踊り・壁画・ポスター・凧・叫び声など、様々な表現となり街にあふれでた。
 十月五日、自由と民主主義の回復への道のりを一歩前進した民衆は、すぐに次のシュプレヒコールを編み出した。
 「ピノチョ・コモ・エスタイ、パ・イルテ・ア・パラグアイ(ピノチョよ、パラグアイに行くための準備はどうだい。)」
       美原 伴平

(『チリ人民連帯ニュース』33号 )

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