『ピノチェト・ノー』勝利の前夜 現地からのレポート(中)The previous night of the victory of "Pinochet no"

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イジャプ、インティ・イジマニのリサイタル Ijapu, Inti Ijimani

 八月末に政府は国外追放者の帰国許可を発表した。ピノチェが国民投票に向けての宣伝効果をねらって行ったことに間違いはないが、連日のように感動的な再会が実現した。七三年のクーデター以降亡命していたアジェンデ大統領夫人オルテンシア・プッシが帰国した九月二十四日、「ノーのための無党派」の呼びかけで、やはりラ・バンデーラ公園でイジャプ、インティ・イジマニの合同リサイタルが開かれた。イジャプはチリ北部アントファガスタ出身のアンデス系音楽グループで、八年の間亡命していた。インティ・イジマニはいうまでもなく、一九六〇年代後半以降、キラパジュンと並び新しい歌運動の中心的存在として活動してきたグループで、クーデター以降十五年の間イタリアに亡命し、演奏活動を続けてきた。両グループとも数日前に帰国したばかりである。
 イジャプが自由をテーマにした曲パロマを歌う。これは、反政府系のラジオでよく流されていた曲だ。パーカッションの音に合わせてメンバーの一人が「イ・バ・ア・カエール」と誘う。会衆も即座に反応した公園に十万人の「イ・バ・ア・カエール」の声がこだまする。
 インティ・イジマニが人民連合時代に聴かれた器楽曲タタティを弾き始めると、「ウォー」という歓声とともに大きな拍手が会衆の中から湧き起った。ビオレタ・パラの「南から追放されて」、ビクトル・ハラの「鋤」、亡命先イタリアの人々に捧げた器楽曲などを次々に演奏。「団結した民衆は決して敗れない」を弾くと、リフレインの「エル・プエブロ・ウニード・ハマス・セラ・ベンシード」の部分は、公園を埋めつくした会衆も一体になって大合唱だ。最後にチリの国民舞踊クエカを二曲演奏すると、そばにいた男女の若者二人がごく自然な形踊り始めた。女性の方は白いハンカチの代わりに、白地に赤文字で「勝利するまでノーを」と書かれた小旗を右手につかんで踊っている。近くにいる人々もたちまちこれを取り囲んで口笛を吹いたり手拍子を打ってはやしたてる。こういった政治的なリサイタルの場でも心から楽しむことをチリ人は決して忘れない。
 約三時間にわたったリサイタルは大成功に終わった。ピノチェの意図がどこにあるにせよ、何年間もの間引き裂かれていた自由を求める二つの声が一つに溶け合ったこのリサイタルが反政府勢力の意気をさらに高めたことは間違いがないようだ。

シュプレヒコール Yelling in chorus

 さて、こういった反政府系の集会につきもののシュプレヒコールにも実にさまざまなものがある。「イ・バ・ア・カエール」や「エル・ケ・ノ・サルタ・エス・ピノチェ」については既に述べたが、「エル・プエブロ、ウニード、ハマス・セラ・ベンシード(団結した民衆は決して敗れない)」という古典的なシュプレヒコールからも、この3・3・7という音節数と押韻の規則を守りながら次々に新しいものが作り出されてゆく。
 二十四日のリサイタル終了直後、ラ・バンデーラ公園で生まれたシュプレヒコールが「ピノチョ、ルシーア、テ・ケーダン・オンセ・ディーアス(ピノチョ、ルシーアよ、お前らはあと十一日の運命)」である。ある若者が即興的にこれを叫ぶと近くにいた者たちが「それ、いいね。」といい、声を合わせる。周りにいた人たちもすかさずこれに加わりみんなで声をはりあげて合唱する。リズムと韻を楽しみながら自分たちの気持ちをシュプレヒコールにこめ、力のかぎり叫びそして笑う。シュプレヒコールひとつにもチリ人の創造性とユーモアが顔をだすのだ。

(つづく)

(『チリ人民連帯ニュース』33号 「『ピノチェト・ノー』勝利の前夜 現地からのレポート」美原伴平)

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