ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌 解説 Incitación al nixonicidio y alabanza de la revolución chilena

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 解 説
                大島博光

 去年(一九七三年)の九月、チリ・クーデターのさなかに、ネルーダが死んだころから、『ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌』という詩集のあることをわたしも知っていた。そのとき、「ニクソン殺し(サイド)」という言葉が、ニクソンのベトナムにおける「皆殺し(ジェノサイド)作戦」を皮肉ったものにまちがいないと、わたしは思ったのだった。こんど、この詩集を読んでみて、わたしの推測はあたっていたが、この皮肉は、わたしの考えたのよりははるかに痛烈なものであった。いまにして思えば、きわめて不幸なことに、ベトナムにおける皆殺し作戦を、チリにおける皆殺し作戦として予感しての、ネルーダのわが身にひきつけての糾弾であり弾劾だったのである。
 まえがきに一九七三年一月の日付のあるこの詩集は、ネルーダ最後の詩集であり、いわばネルーダの遺言となったが、それ以上に、この詩集は、ファシスト・クーデターを予告していた諸事件をあばく稀有な証言となっている。同時にまた、チリの民主主義を計画的に圧殺したアメリカ帝国主義の、その公的代表者としてのニクソンの犯罪をこの詩集は告発し、断罪しているのである。
 アジェンデ人民連合政府が成立した一九七〇年九月から、すでに、アメリカ帝国主義の陰謀と謀略による挑発、テロ行動は活発化していた。この詩集は、まさにそのような時点から書き始められた。ネルーダは、すでに容易ならぬ情勢にたちむかうために、詩による戦闘態勢をとり、詩による武装をととのえることになる。「まえがき」にかれは書く。
 「ただ詩人たちだけが、かれ(ニクソン)を壁にはりつけ、痛烈で致命的な詩句によってかれを穴だらけにすることができる。詩の義務は、韻律と脚韻の砲撃によって、かれをぼろくそにうちのめすことである。……」
 多くの場合、ネルーダは、脚韻や韻律をあまり用いていないのだが、ここでは「韻律と脚韻の砲撃」をもちい、鋭い叫びの音や、きわめて大衆的な調子などを駆使して、怒りを白刃に変え、「アラウカニアの石つぶて」に変えている。「かれを壁にはりつける」──つまり、壁詩に書いて壁にはりつけるという黒いユーモアは、日本語においても、礫(はりつけ)に通じて、なかなか痛烈である。こうしてかれは、「敵をうち破るために古典主義者もロマン主義者も用いた、もつとも古い詩の武器──歌とパンフレットに訴える」のである。
 ネルーダは、切迫した情勢のなかで、情勢と人民の要請にこたえて、大衆に役立つ、戦闘的な吟遊詩人とならざるをえない。いまや、ほかの主題──愛とか死とか時間といった、かれの好きな「形而上学的な」主題とは別れて、ひたすら鋭い政治詩、「黒いユーモア」にみちみちた風刺詩を、武器として取りあげることになる。そしてこの詩集にみられる風刺の痛烈さは、第二次大戦中、敗れさったヒットラー、ムッソリーニ、ペタンなどの、ファシストやその協力者どもを博物館入りの蠣人形として風刺し、痛撃した、アラゴンの詩集『グレヴァン博物館』を思わせずにはおかない。

  愛よ おさらばだ くちづけは明日(あした)だ!
  わが心よ おまえの義務にかじりつけ
  おれは おれの詩と 真実とをもって
  この怖るべき死刑執行人(ひとごろし)の 人民への憎悪と
  ひとを怖れぬ罪業とに 懲罰をくだしてやる (『ほかの主題とはおさらばだ』)

  鋭い透きとおった詩で 仮借なき苛酷な心で
  猛り狂った狂人ニクソンを 突き刺してやろう
  こう おれは 正義の 火の一撃で
  ニクソンに とどめを刺そうと 決意して
  おれの弾薬入れに 詩の弾丸(たま)を こめた  (『鋭い透きとおった詩で』)

 ネルーダがこのように歌ったのは、ニクソンに殺されたベトナムの死者たちの名においてであり、祖国チリにおいて、ニクソンに苦しめられてきた「貧乏なひとたち」の名においてであった。ベトナムで敗退し、キューバでも挑発と封鎖に失敗したニクソンは、鉾先をチリに向け、ファシストどもをあやつって、これを「かじりとる」にいたる。ネルーダはこのニクソンのやりくちを的確に、端的にあばき出している(『あの男の正体をあばいてやる』)。だがこんにち、ふかい悲痛の想いなしには、つぎのような詩句を読むことはできないだろう。

  そして来たるべき未来の 人民裁判のために
  おれは 方ぼうの扉をひらき 国境を超えて
  黙りこんでいる証人たちを 呼び集めた

  血まみれの春に 仆れていった人たちを  (『鋭い透きとおった詩で』)

 これらの詩句は、すでに、クーデター後のこんにちのために予言的に書いたかのようにさえ見える。いまや、ネルーダ自身も「血まみれの春に仆れていった人たち」のひとりであり、サンティアゴのサッカー場で虐殺された、たくさんの殉難者たちもまた、ニクソンを裁く証人席についているのである。
 そしてこの「黙りはしない」死者は、この生ける詩集において、ひとりの大統領のぺてん、兇悪、汚職、人類への不法叛逆を告発し証明し、完膚なきまでに彼に痛撃をくらわし、笞(むち)うちつづけている。正体をあばかれたこの男は、ベトナムの血、チリの血、ウォーターゲートの泥水のなかに、「沼の泥水と血だらけの川」のなかに、ころげ落ちるのである。

 いま、この詩集をよむと、チリ人民連合の闘争と勝利、そしてアジェンデを暗殺し、チリ人民を虐殺するにいたったその過程、裏切り、卑劣な謀略、暴力などが、まざまざと描かれていて、いわば読者は、チリのこの歴史的な一時期(エポック)を追体験することになる。
 『一九七〇年九月四日』のなかには、大統額選挙における人民連合の統一候補アジェンデの勝利──人民の勝利が歌われている。『勝利』『その日から』で、チリの「新しい革命の道」について、「多数派の赤い薔薇」について、詩人は胸をおどらせて歌っている。しかし、右翼ファシストの最初の犠牲者、暗殺されたシュナイダー将軍の死を、敬愛と痛苦をこめて歌うとき(『喪のチリ』……『将軍よさようなら』)、かれは、早くも人民連合の勝利のうえにのしかかる黒い影を、精確に見てとっている。チリ人民の勝利とともに、アメリカ帝国主義とその多国籍大企業のⅠ・T・T、アナコンダ、ケネコット、あるいはエドワーズ財閥などによる挑発、謀略、顛覆活動が激化したのである。怒りに燃えたネルーダの鋭い風刺は、多国籍企業の陰謀を容赦なくあばき出し、キリスト教民主党の共犯をやっつけると同時に「目やに垂らしたカセローラ(シチュー鍋)夫人」──上流夫人たちの反動的な猿芝居をも見逃しはしない。このお屋敷町の夫人たちは、シチュー鍋をたたいて、「彼女たちの自由」を、すなわち特権階級の自由、貧しいひとびとを搾取する自由を要求したのである(『情熱的なストライキ』『俗悪な物語』)。またネルーダは、トロツキストたちの危険な役割をみてとって、人民連合政府の成立した時から、早くも予言的に警報を発しているのである(『狂人どもと阿呆どもと』『不断の警戒警報』など)。しかし、その祖国と人民の名において歌い叫んでいるネルーダは、平和を呼びかける詩人の任務を忘れることはない。ひと殺しのすすめを題名とするこの詩集も、やはり依然として、正義と平和への絶えざる呼びかけの書なのである。

  わたしは望まない 祖国がひき裂かれることも
  また 七つの匕首によって 血ぬられることも
  わたしの希いは 新しく建てられた家のうえに
  チリのかがやく旗が へんぽんとひるがえること  (『わたしはここに残る』)

 アメリカ帝国主義とそのカイライどもが、ベトナムで、チリで犯した暴虐不法な犯罪にたいして痛撃をくらわしたこの詩集の最後の詩『われら声をあわせて歌おう』において、ネルーダがアロンゾの『アラウカニア』の詩句と自分の詩句とを交互に組み合わせているのは意味ぶかい。アロンゾ・デ・エルシージャは、十六世紀スペインの「黄金時代」の詩人で、チリ遠征に参加した。しかしかれはまた、その叙事詩『アラウカニア』のなかで、当時のチリ人民──スペイン侵略者にたいして勇敢に抵抗したアラウカニア人民の不屈な偉大さを歌ったのである。アロンゾがスペイン征服者たちの一員であったとはいえ、その『アラウカニア』にみられる反帝国主義的な側面を、ネルーダはほめたたえ、これと声をあわせ、発展させようとしているのである。ここに偏狭な図式にとらわれない、ネルーダの弁証法的な精神をみることができる。
 この詩集が高くかかげているのは、純粋な人民への献身とふかい祖国愛の模範であり、人民と祖国が危急存亡の時に、詩人はどのように歌うべきかをも示しているのである。

  わたしには ただ 人民だけが大事なのだ
  ただ 祖国だけが わたしを決定づけるのだ

  わが祖国と人民が わたしの見通しをみちびき
  わが人民と祖国が わたしの義務(つとめ)を明らかにする  (『わたしは黙ってはいない』)

 ネルーダの偉大な声は、その死を越えて、チリ人民の胸にひびきつづけるであろう。

         一九七四年五月

<新日本出版社『ネルーダ最後の詩集──チリ革命への賛歌』1974.5>
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