2 手から手へ戸口から戸口へ

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 2 手から手へ戸口から戸口へ

 一九四〇年六月、フランスは敗れ、その半ばはナチス・ドイツ軍に占領された。はじめドイツ占領軍は、作家・詩人たちに対独協力をよびかけた。少数の作家・芸術家たちがファシズムの誘いにしたがった。かれらは甘言に迷わされて、自分が思想・文化の弾圧者・絞殺者の前にみずから首をさしだしたということに気がつかなかったのである。しかし、フランス知識人の大多数はそれを拒否した。そればかりか、著名な詩人・作家たちが、ナチの占領とファシズムに反対して立ちあがり、「自由」のための雑誌に協力し、たとえば『レットル・フランセーズ』のような非合法紙に協力することを引きうけた。とりわけ詩人たちは、ペンによるレジスタンスの先頭に立った。厳重なナチの検閲にもかかわらず、詩人は、言ってはならぬことを語り、うたうために、暗喩、あてこすり、遠まわしの表現、比喩などを駆使した。たとえば、アラゴンは「四〇年のリチャード二世」のなかで、つぎのようにうたう。

 わしの祖国は 舟曳きどもに
 見捨てられた 小舟さながら……

 これは、祖国を裏切り、見捨てた、ヴィシー政府のペタン一味を風刺しているのである。また、カトリックの大詩人ピエル・ジャン・ジゥーヴは、つぎのように書く。

 裏切者らとシーザーが 墓と黒雲が
 ここの大地を奪い 光を奪った……

 「シーザー」がヒットラーを指しているのはいうまでもない。
 ナチは誘いのつぎに脅しをかける。占領軍とヴィシー政府はたちまち偽善の仮面をかなぐり捨てる。多くのフランス人が人質にとられ、国外へ連れさられ、強制収容所にぶちこまれ、拷問にかけられ、銃殺される。サン・ポル・ルー、マックス・ジャコブ、ロベール・デスノスなどの詩人たちも殉難の列にくわわる。この血と呻(うめ)き声のなかで、フランスはしだいに眼をさましてゆく。この汚辱、圧制、暴虐にたいして、詩人たちもまたさらに声を高める。ひとびとの胸に重く深く鳴りひびく詩は、ナチの検閲の眼をかすめて、ひとびとの手から手へとわたり、ひそかにビラや小冊子に印刷されて、戸口から戸口へとくばられた。
 一方には、無関心、日和見主義、対独協力、裏切りさえもがあったとはいえ、あらゆる党派のフランス人たちが、グループをつくって集まり、抵抗闘争に参加し、「秘密軍」「フランス義勇パルチザン」「義勇軍」「国民戦線」などの不屈の組織がつくられる。詩人たちもまた、めいめいの仲間と結びつき、ひとびとといっしょに活動し、たたかった。やがて、パリからガナゴビ一に、アキテーヌからヴェルコールに、ブルターニュからモン・バント一にかけて、ゲリラが立ちあがる。
 ゲシュタポやヴィシーの警察による弾圧にもかかわらず、詩人たちの歌は国じゅうにひろめられて、民族の歌となる。詩人たちは、ナチの嵐とたたかい、この嵐を書きとめ、たたかうフランス人民の勇姿を描き、その英雄的な精神をほめたたえたのである。

<大島博光『レジスタンスと詩人たち』白石書店 1981年>

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