パリ解放30年(読売新聞 S49.8.24)

ここでは、「パリ解放30年(読売新聞 S49.8.24)」 に関する記事を紹介しています。
解放30年を迎えたパリの様子を伝える読売・谷口侑特派員(当時)の記事。コピーがとってありました。
マドレーヌ・リフォーの話がでています。

パリ解放

”神話”抜き パリ解放30年 無名の人々の証言で記念

 ☆レジスタンスありのままに
 二十五日はパリ解放三十周年記念日。仏第二機甲師団がパリ中心部に突入した二十四日夕、パリ中の教会の鐘が三十年前と同様に一斉に鳴り響く。ことしの新聞やテレビの記念特集番組には、パリ解放を勇壮な一大フレスコ画として描き出すのではなく”神話”を抜きにした「ありのままの六日間」を庶民の目で見つめようとする変化がみられる。
 たとえば仏国営テレビの特別番組「敢然と立ち上がったパリ」(ドゴール将軍のことば)は努めてパリ解放の”無名の主役”を登場させた──。パリ警視庁の警官がほう起し、いくつかの区役所もFFI(仏国内軍)の手で占領された八月十九日、たまたま結婚して、解放されたばかりの十八区役所に来合わせた平凡な夫婦証言。庶民の街ベルビーユでほう起に参加したという老クツ屋はクツ直しの手を休めずに、当時ナチの迫害から生きのびたユダヤ人、アルメニア人たちが、いかにレジスタンスを始めたかをトツトツと語る。
 また白昼のソルフェリノ橋のたもとで、ドイツ軍将校を射殺した十九歳の少女マドレーヌ・リフォー。拷問の末、いったんは死刑を宣告されたが、のちに独軍捕虜と引き換えに釈放されると、直ちに独軍輸送列車襲撃に参加する。現在は南ベトナム解放区の数々のルポで有名な仏共産党機関紙ユマニテの記者である。

 ☆占領下の暗い記憶も公開
 輝かしい経歴を持つリフォー女史も、自分の闘いよりは名もない仲間たちのことをより多く語った──「レピュブリック広場の最後の戦闘で、仲間が一人倒れた。一歩通りに出ると、パリは解放のお祭り気分。それなのに彼は死んでいる。私たちはベンチに座って泣いた」。また、ビュット・ショーモン公園わきで独軍を乗せた列車を襲撃した時の模様──「機関車を切り離したかった。おカミさんの手伝いでサラを洗っていたらしい元鉄道員のオッサンが駆けつけ機関車の下にもぐり込み、連結器をはずし、手柄顔一つせずに、またすたこらサラ洗いに戻っていった」
 レジスタンスではだれもが英雄であるが、占領下の暗い屈辱の日々については、タブーとされてきた。それが近年、こうしたタブーの部分を正面から取り上げる映画や文学作品が増えてきたのが、大きな特徴である。たとえば、占領下の仏市民の節操のなさや対独協力ぶりを描いた長編記録映画「悲哀と同情」がある。今年に入ってからは無知な農村少年がナチ軍にあこがれ、ゲシュタポの手先になっていく様子を描いたルイ・マル監督(「リュシアンの青春」)が話題を呼んだ。

 ☆ドイツ青年も共に″追体験″
 戦争もレジスタンスも知らない世代は、パリ解放をも、レジスタンスの壮絶な闘いとしてだけでなくて、その中で多くの市民がどのように生き、戦闘をながめ、そしてバリケードに参加していったかを、今の時代に生きる自分たちのこととして〝体験しよう″としているのではないか。
 激しい戦闘が続いた警視庁とノートルダム寺院にはさまれた広場には、今日も各国の青年たちが夜遅くまでたむろしている。そのわきでドイツ人男女学生と地方出身者らしいフランス人青年が壁にはめ込んである文字盤を指でなぞりながら声を上げて読んでいた──「パリ市警察官フランシス・モリゾ、バリ解放のためここに死す。八月十九日」。青年たちは、彼らなりにパリ解放を″生きている″のである。(パリ・谷口侑特派員)

(読売新聞 S49.8.24)
関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/1879-2b19d704
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック