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「大島博光記念館開館5周年によせて」士井大助

ここでは、「「大島博光記念館開館5周年によせて」士井大助」 に関する記事を紹介しています。
 「光陰矢の如し」、早くも五年がたちました。地元の方々はじめ、幅広い多くの人たちの熱意に支えられて、博光記念館は年々行事も多彩に持続展開され、今や博光さんの愛してやまなかった地元長野はじめ、ある意味で全国的な文化運動の一センターとして、活気を呈していること、ご同慶の至りです。朋光館長夫妻はじめ、小林その長野詩人会議代表、石関みち子事務局長らや多彩な詩友たちの献身的で持続的な努力によって、誇張すれば初期以上の活力と、幅広い文化界の人たちのお力ぞえにもよって、活力ある詩と歌とを軸にする、いわば「全世界的な」存在感が発揮されていることを、亡き博光さん夫妻もどれほど喜んでおられることでしょう。
 文字通り名ばかりの名誉館長として、これら多くの友人たち支援者の皆様に感謝しつつ、篤くお礼申し上げるとともに、自分の無力をおわびいたします。
 博光さんは、晩年まで病気がちだったのに、九十五歳まで文筆を奮い続けた希有の詩人でした。フランス・スペイン・ラテンアメリカ・ベトナム…と、訳業対象も二十〜二十一世紀の東西世界の平和と進歩・変革の大テーマに固く結びついていました。その中で、日本はどうあるべきか、自由と文化の闘いに生涯を捧げたのです。博光記念館が「全世界的」存在といえるのは、事業・運動の文化的内容がそういう筋道を、懸命に追究しているからです。
 それに比するつもりはありませんが、借越ながら戦時下「人生二十年」の呼号に半ば酔わされて陸軍航空士の卵だったぼくは、ついに馬齢を重ねて、八十六歳という今日を迎えてしまいました。「徒然草」に「われらが生死(しょうじ)の到来、ただ今にもやあらん…」との述懐がありますが、老いや死が不可避なことは誰でも承知です。けれども、正直にいえば、昨今の自分は病気や日常生活の不如意に脅かされつつ、認知症にだけは侵されまいと、歯を食いしばっている毎日です。ここのところ。長野の博光記念館まで出向くことも出来ずにいるありさまです。
 博光さんも発起人に加わった詩人会議は、昨年創立五十周年=半世紀を迎えました。その先頭に立った詩人壷井繁治が一九七五年九月に七十七歳で急逝したとき、詩人会議葬の葬儀委員長は六十五歳の詩人大島博光が担ったことなどを思い出します。こんな回想の繰り言も老いのれっきとした証拠なのでしょう。もちろん今日の日本と世界の動向に対して、恐るべき所は怒り、喜ぶべき所は喜び、近隣で闘うべき動向とは「老力」をもって闘う、その筋は博光さんに倣って、気概だけは堅持しています。
 博光記念館の存在と活動は、これからこそ大事な意味を高めて行くはずです。広い意味での世界の文化・芸術、民衆の創造力の発信点の一つとして、とりわけ若い世代の人たちに受け継がれることを切に願っています。
そこにこそ歴史的な時代の要請が感じられてなりません。博光さんの遺志の軸にも、それがあったにちがいないと思うこと切なるものがあります。
 遠くから信州に来られ、博光記念館へお足を運ばれ文化的交流を深める方々のことを「記念館ニュース」などで読むと、とりわけ嬉しくなるこの頃です。「御客様は神様です」という言葉が一時はやりましたが、来館される人たちのご感想、ご批評が、記念館発展のこれ以上ない栄養だという点でなら、正しい教訓といっていいのではないでしょうか。
 大島博光記念館とその文化運動のさらなる創造的発展を願いつつ…。
                               (2013・7・13)

<長野詩人会議機関誌『狼煙』72号>


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