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詩集『ひとを愛するものは』──あとがき

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  あとがき

 この詩集に収められている詩は、敗戦後まもない一九四六年、わたしが三十六歳で日本共産党に入党してから以後に書いたものばかりである。
 偉大な市川正一同志は、一九三二年七月の公判廷で、その陳述の冒頭にこう述べている。
 「……私の全生涯は、日本共産党員となった時代とそれ以前の時代との二つにわけられる。そして日本共産党員となった時代が、自分の真の時代、真の生活である」(新日本文庫「日本共産党の六十年」上巻七七ページ)
 わたしは党員として何ほどの活動もして来なかったが、しかしわたしもまた詩人として「党員となった時代が、自分の真の時代、真の生活」であったという感懐をもつ。それはこの詩集のなかでもくりかえし書いているように、自分のなかの古い残りかすをとりのけて、新しい人間へと自分を変えてゆく過程でもあった。それはまた党のおかげで、「生死を賭けるに足る現実世界」(アラゴン)を見いだすことのできた者のもつ感懐でもある。もしもわたしが、組織にくわわることを束縛とみなして、アナーキーな気ままさを選んでいたなら、この感懐を味わうことはできなかったであろう。
 詩、あるいは詩人の分野についていえば、わたしは元来レアリスムからは遠いところ、むしろレアリスムとは相反するところから出発した。わたしは戦前から戦中にかけて青春を送った世代にぞくしているが、党員になる前のわたしは多かれ少なかれ芸術至上主義者であって、きわめて狭い小さな内面生活をうたうことしか知らなかった。外部では、苛烈な階級闘争がおこなわれ、治安維持法をふりかざした特高によって小林多喜二が虐殺され、とうとうとファシズムがのさばり、侵略戦争がおし進められていたのに、それがそのものとして見えなかった。見ようともしなかった。(こんにち日本の反動はふたたび「政党法」なるものを日程にのぼせようとしているが、それはその本質と目的において、あの治安維持法を復活させることにほかならないであろう)そういう外部世界、状況、歴史は、詩とは無縁のものだとわたしは思いこんでいた。
 わたしがそういうところから抜け出て、そして資本主義社会では人間は人間にたいして狼であるということ、「肝腎なのは世界を変えることである」(マルクス)ということなどを多少なりと理解しうるようになり、多少なりと詩をたたかう武器とし、状況の詩、政治詩を書くことができるようになったとすれば、それは党のおかげであり、そこに党があったからである。それらの詩において、わたしもアラゴンやネルーダのような先駆けの偉大な詩人たちのように、美と真実を、夢と現実を、詩のなかに統合することをめざしたが、むろんそれに成功しえているなどとは思っていない。しかしとにかくわたしもそこをめざしたのである。
 こんにち、人類は、核戦争の危険が現実のものとなっている時代に直面している。いよいよ詩人も、人民のひとりとして、人類の一員として、核による大量死を拒否してたたかうときである。わたしもポール・エリユアールとともに言おう。

  万人(みんな)の未来のためなら
  わたしは何んでもする

 さて、この詩集の刊行にあたって、作品の選択、編集などの労をとってくれた、詩人土井大助と新日本出版社の森鉱一君に、ここに感謝の意をしるしておきたい。またいままで永いことわたしをささえて、詩を書かせてくれた妻静江にも、ここで感謝をささげておきたい。
  一九八四年六月
                               著 者

<『ひとを愛するものは』新日本出版社1984年>
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