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静江さんの思い出

ここでは、「静江さんの思い出」 に関する記事を紹介しています。
静江さんの思い出
               河村芳枝

私が静江さんとお付き合いがあったのは 太平洋戦争の始まった頃 静江さんが東京・練馬の近藤修博さんのお家においでの頃でした。 兄茂樹の家が近藤さん宅の近くにありましたので 休みの日に遊んで頂きました。私は男兄弟しかおりませんでしたので お姉さんに甘える気持ちでした。そのうち戦争も激しくなり 生活に余裕もなくなり、お会いすることもなくなりました。

次にお会いする機会に恵まれましたのは昭和20年4月、私の通っておりました女学校が空襲で焼けてしまいましたので、前橋に疎開していらっしゃった近藤芳子さんにお世話になることになり前橋高女の4年に転入致しました。近藤家と鈴木家は2,3分の近所でしたので、鈴木さんのお家でお風呂を頂いておりましたので よくお話をさせて頂きました。後で思うと その頃は静江さんが一番お苦しい時代だったのではないでしょうか。ご結婚されるという噂が耳に入って来ました 当時は結婚といえば親の決めた相手と一緒になり、「産めよ殖やせよ」の国策にそい男児を1人でも多く生むことが常識の時代です。本人の深い愛情にむすばれる結婚など小説の中の出来ごと夢の様な話です。若い男女がいっしょに居るだけで「非国民」と冷たい眼でみられ憲兵ににらまれる時代です。恋とか愛とか口にすることも出来ない時代 世間体というものもあって お父様の反対にあわれたと伺っています。でも、静江さんはそうした「しがらみ」を断ち切って御自分の心を大事にされたのでしょう。もともとシンの強い方でしたが、大島さんのもとに嫁がれたのですが 私達には知らされませんでした。 しばらくたってから近藤夫人からご結婚の経緯を聞かされました。静江さんの勇気と愛情の深さに感動致しました。そして心から喝采を送ったものでした。

やがて敗戦の日を迎え 私も東京に帰りましが 世田谷の家は5月25日の空襲で焼け、焼け跡をさまよう日々で お互いに生活をするのが精一杯で すっかりご無沙汰することになってしまいました。
(2013年7月3日)

*   *   *
6月に「その時代に誰もが忘れかけ避けて通っている 人の道を真っすぐに追い求められた(静江の)情熱に 今更ながら感動した」という手紙を下さった縁戚の河村芳枝さん、自由に行動することが抑えつけられ、自由な恋愛も許されなかった当時の状況の下で恋愛を貫いた静江の行動に驚き、感動したと語りました。
今でこそ当然となっている結婚の自由も戦前はたたかい取らなければならなかった。憲法第24条(家庭生活における個人の尊厳と両性の平等)制定に偉大な貢献をしたベアテさんのことが思い浮かびました。
日本国憲法第24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


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