「日本戦没学生の手記 きけ わだつみのこえ」(東大協同組合出版部刊 1949年)を見ましたら、武井脩氏の手記が載っており、そこに栞と博光による赤線が引いてありました。
武井 脩(旧姓花岡)九大法文学部卒業。昭和十七年二月入営。十二月見習士官としてビルマ出征。二十年五月戦死。二十七歳
博光は<わだつみの声>への挽歌という戦没学生への鎮魂の詩を書いていました。




この中で「人間の中心とは何であらう・・・大島博光氏は東京で彷徨ふであらうし、田口は・・・新沼は・・・中尾は・・・そして俺は、口をあけて馬体検査を見ている・・・」とあり、詩人仲間だったようです。
武井 脩(旧姓花岡)九大法文学部卒業。昭和十七年二月入営。十二月見習士官としてビルマ出征。二十年五月戦死。二十七歳
博光は<わだつみの声>への挽歌という戦没学生への鎮魂の詩を書いていました。




この中で「人間の中心とは何であらう・・・大島博光氏は東京で彷徨ふであらうし、田口は・・・新沼は・・・中尾は・・・そして俺は、口をあけて馬体検査を見ている・・・」とあり、詩人仲間だったようです。
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