パリ・コミューンの詩人たち──ポール・ヴェルレェーヌ Paul Verlaine

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 ポール・ヴェルレェーヌ

 ヴェルレェーヌは、一八七〇年以前より、ルイ・ザヴィエ・ド・リカール、レオン・クラデレなどのパルナッス(高踏派)左翼と親交を結んでいた。しかしかれは、パルナシアンとして、依然としてロマン派の社会詩には反対していた。
 しかし、一八七一年、ヴェルレェーヌは、エミール・プレモンのようなコミューン派の詩人と近づきになり、『ルイズ・ミシェルをたたえるバラード』を書く。
 コミューンが成立したとき、ヴュルレェーヌは、勤めていたパリ市庁の新聞局長に任命され、ヴェルサイユ軍がやってくるまでその地位にとどまっている。この立場のために、かれは敵につけねらわれたにちがいない。
 一八七二年十二月、かれはランボオとともにロンドンに渡り、コミューンの亡命家たちと親交を温める。かれは、同宿のアナーキストの詩人ヴェルメルシュから影響をうけて、「生活」は勝ち誇り「理想は死んだ」という詩句で始まる、『敗北者』という詩の後半二章を書く。

  敗北者は 牢獄の夜の中で つぶやいた
  奴らはおいらを鎖につないだが おいらはまだ生きている
  鉄の首輪は おいらの肩に 重くめりこむが
  おいらの身ぬちには なんと 血がめぐつているのだ

 しかし、ヴェルメルシュにあっては、アナーキスムの思想は鮮明であるが、ヴェルレェーヌの思想は漠然としたものであり、それはのちには、反動的な神秘主義におちこむことになる。
 しかし、注目すべきことは、ヴェルレェーヌのような詩人も、人民の革命運動とコミューンの詩人たちの影響のもとにあっては、詩人の運命が人民のそれとひとつであると感じたということである。

<『パリ・コミューンの詩人たち』──詩人たち>

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