パリ・コミューン 血の週間 (4)──五月二十三日/Commune de Paris_Semaine Sanglante

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 五月二十三日、ヴェルサイユ軍は、大迂回作戦に出る。アスニエール門から城壁沿いにクリニヤンクール門に進出し、ついでモンマルトルの丘を側面から攻撃して、その東部を占領し、オルナノ大通りを南下した。
 パティニヨル地区の連盟兵たちは、クリシー広場まで退却したが、ここも長くは持ちこたえることができなかった。
 ルイズ・ミッシェルと国民軍第六一部隊の五十人ほどの兵士たちは、モンマルトル墓地を午前十一時まで死守した。かれらが、ショッセ・クリニヤンクールのバリケードへ後退したときには、十五人しか残っていなかった。ルイズは、銃の床尾でなぐり倒されたまま、死者としてとり残された。のちに彼女は、傷つき痛むからだを引きずって、ウドー街の小学校に帰った。彼女は母親といっしょにそこに住んでいたのである。
 モンマルトル墓地を占領するや、ヴェルサイユ軍の将校たちは、三月十八日に銃殺されたルコント将軍とトーマ将軍の復讐にとりかかる。四十二人の男と、三人の女と、四人の子供がとらえられて、ロジェ街六番地に引ったてられてきた。ルコント将軍が、銃殺された場所である。将校たちは、かれらを膝まずかせて、銃殺しようとした。しかし、ひとりの婦人が、自分の子供を抱きよせながら、その命令を拒否した。
 「この畜生どもに見せてやりましょう──わたしたちが立ったまま死ねるんだということを。」

 コミューンの側は、ヴェルサイユ軍の兵隊たちが、三月十八日のように、寝返ってくれることを希った。公安委員会はつぎのような布告を重ねて貼りめぐらした。
 「諸君がパリの人民に面と向いあったとき、諸君がかれらに銃口を向けるなどとは、パリの人民は決して思わぬだろう。諸君は、正真正銘の兄弟殺しとなるような行為から身をひるがえすだろう。われわれと同じように、諸君はプロレタリアである。兄弟よ、われわれの側に来たれ。われわれは両腕をひろげて、諸君を歓迎する。」
 しかし、この呼びかけにたいして、ヴェルサイユ軍の兵隊たちは、モンマルトル、パティニョール、モンソー公園等における虐殺もって答えた。こんどは、将校たちの命令を、兵隊たちは堅く守ったのである。
 夜の八時、右岸のヌーヴ・デェ・カピュシィヌ街は、砲撃によって破壊され、ヴェルサイユ軍はドルオ街、イタリアン大通りを占領し、虐殺はますます烈しくひろがる。リサガレは書く。
 「街はずれではまだ戦闘がおこわれているのに、同じ街の征服された部分では、すでに略奪掃蕩が始まっていた……武器をもったり、制服を着たり……兵隊靴をはいていた者は、災いなるかな。挙動不審な者は、災いなるかな。敵のスパイや私服に密告された者は、災いなるかな……」
 つまり手当り次第に、ひっとらえられて、銃殺されたのである。つぎの詩は、それらの市街戦の模様を描いている。
(つづく)
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