パリ・コミューン 血の週間 (3)──五月二十二日/Commune de Paris_Semaine sanglante

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 五月二十二日。「血の週間」が始まる。
 この日も、きのうのように、からっと晴れあがって、よい天気であった。
 「軍事委代表」ドレクリューズの『市民への呼びかけ』が、街々の壁に貼りめぐらされる。
 「軍国主義はもうたくさんだ! 金モールと金ピカづくめの参謀将校はもうたくさんだ! 人民に席をゆずれ! 腕まくりした戦士たちに席をゆずれ! 革命戦争を告げる鐘は鳴りわたった。人民は巧みな機動戦については何も知らぬが、銃を手にとり、足もとに敷石があれば、いかなる王党派の戦略家をも恐れることはない。……」
 この呼びかけは、国民軍の戦士たちの士気を混乱させ動揺させる。しかし、怒りに燃えた戦士たちはなおも戦いつづける。
 こんどは、パリ市民も危険の迫ったことを肌身に感じた。パン屋と酒屋をのぞいて、商店はみな店をしめる。めいめい区ごとに、戦士たちは集合する。市庁舎の前では、西部地区に向う部隊に弾薬がくばられた。
 しかし、夜が明けてみると、エトワール広場とグランド・アルメの並木通りは、ヴェルサイユ軍に占領されていた。
 コンコルド広場の防衛の指揮をとっていたのは、こんどもまた出獄したブリュネルであった。ボーヴォ広場、サン・トノレ地区、シュレーヌ街、サン・トーギュスタン広場などにバリケードが築かれた。
 テュイルリのテラスには、六門の大砲が据えられ、ロワイヤル街の大堡塁が、シャン・ゼリゼから進撃してくる散に通せんぼをしている。
 ところが、ヴェルサイユ軍は、ゆっくり迂回して、マレルブ大通りを通って、ロワイヤル街の前方のボワシ・ダングラ街に進出し、ペピニュール兵舎を占領し、大蔵省を砲撃して炎上させた。
 その北側にあるパティニヨル地区の、モンソー公園とワグラム広場は、連盟兵たちによって確保されていたが、ワグラム広場の手前のカル・ディネ街にも戦闘が起こる。しかし、援護してくれるはずのモンマルトルの大砲は、依然として沈黙している。
 左岸では、ティエールの部隊は士官学校を占領した。しかし第七区は頑強に抵抗する。たくさんのバリケードが敵をくいとめる。ウードとヴァルランは、セーヴル街とパピローヌ街で戦う。不幸なことに、モンパルナス駅の防備は手うすであった。
 正午には、ヴェルサイユ軍は、左岸の廃兵院(アンヴァリド)を占領する。砲弾が全市に雨あられと降って、いたるところに火災をひき起こす。ティエールの兵隊どもが、虐殺をはじめる。
 夕方、ヴェルサイユ軍はアルスニュール門とサン・ラザール駅の線に進出する。夜になって新しいバリケードが築かれる。タンプル街の横町では、二十人ほどの子供たちが、ひとつのバリケードを六時間で築きあげた。
(つづく)


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