パリ・コミューン 血の週間 (1)──五月二十一日/Commune de Paris_Semaine sanglante

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 血の週間

 五月二十一日、日曜日は、さつき晴れのすばらしい天気であった.若葉に映えるテュイルリ宮殿の庭園では、市街戦で犬をうしなった未亡人と、親をうしなった孤児たちのために、慈善音楽会がひらかれていた。そこから二百メートル先のコンコルド広場には、ヴェルサイユ軍の砲弾が破裂して、金管楽器の陽気な音楽に調子をあわせているかのようだった。パリの群衆は、軍楽にききいっていた。誰ひとりとして、しのびよっている危険には気がつかなかったのである。
 テュイルリの木かげで、軍楽隊がひと息いれているあいだにも、ヴェルサイユ軍はぞくぞくと、サン・クルー門からオートイユ地区へと進撃していたのである。サン・クルー門はすっかり破壊されて、監視隊もいなかった。スパイのデュカテルが、ポアン・デュ・ジュールの稜堡のうえで、白いハンカチをくくりつけた熊手を振って、あたりに守備隊のいないことを通報したので、ヴェルサイユ軍は難なくサン・クルー門を突破することができたのだった。
 二十一日の夜から二十二日の明け方にかけて、トロカデロと第十五区のほとんどが、ヴェルサイユ軍に占領され、捕えられた連盟兵は銃殺された。こうしてパリは、凄惨な「血の週間」を迎えたのである。
 五月二十二日、コミューンの公安委員会は、さっそくつぎのようなビラを貼りめぐらして、パリ市民に決起を呼びかけた。
 「市民よ、サン・クルー門は、モン・バレリアン、モンマルトルの丘、ムリノー、および、裏切者が明け渡したイシー要塞などから、四方から一度に砲撃されて、ヴェルサイユ軍に奪われた。ヴェルサイユ軍はパリ地区の一部に散開している。
 この敗北は、諸君を落胆させるどころか、諸君を奮いたたせる刺激剤でなければならぬ。王たちを王座から引きずりおろし、バスティーユを破壊した人民、八九年と九三年の人民、大革命の人民は、三月十八日の鮮放の成果を一日たりとも失うわけにはゆかぬ。
 市民よ、始まった戦闘からは、何びとも脱走することはゆるされないだろう。なぜなら、それは、未来と過去との、自由と専制との、平等と独占との、友愛と隷属との、人民の連帯と圧制者のエゴイスムとの、闘争だからである。
 武器をとろう!
 直ちに、武器をとろう! パリをバリケードで埋めよう。再び、築いた砦のうしろから、敵に戦いの雄叫びを、誇りの雄叫び、挑戦の雄叫び、さらにまた勝利のかちどきを投げつけよう。バリケードをもったパリは不敗だからである。・・・
 どうか、革命的なパリは、重大な日を迎えたパリは、その義務を遂行されたい。コミューンと公安委員会とは、おのれの義務を果たすであろう。
          公安委員会」

<新日本新書『パリ・コミューンの詩人たち』──血の週間 "Les Poètes de la Commune de Paris">
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