パリ・コミューン 血の週間 (7)──五月二十四日/Commune de Paris_Semaine Sanglante

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 五月二十四日、水曜日、パリは燃えつづけている。
 連盟兵たちは、小さなグループになっても戦いつづけていたが、いまや希望はなかった。一八四八年の「二月革命」において父祖たちが戦ったように、かれらもいまや大義名分のために戦っていたのである。
 連盟兵たちの大砲は、まだ、ビュット・ショーモンとペール・ラシェーズから、ヴェルサイユ軍の占領地区に砲撃をくわえてはいたが、しかし、トロカデロやモンマルトルから反撃してくる敵の砲撃は、はるかに激しいものであった。
 朝早く、ヴェルサイユ軍は、ルーヴル宮、フランス銀行、証券取引所を占領。市庁に集まっていたコミューンの委員たちは、ついに市庁舎から撤退することを決め、市庁舎に火を放ち、第十一区ヴォルテール広場に後退する。
 正午には、さらに、美術学校、フランス学士院、造幣局が占領される。ヴェルサイユ軍の大部隊が、ラシーヌ街を通って、サン・ミッシェル大通りに進出する。
 ソルボンヌ広場で戦っていたラウール・リゴーは、ゲー・リュサック街の下宿に帰る途中、敵の手に落ちた。指揮官の制服をきていたので、かれは将校のところへ引っぱっていかれた。
 「おまえは何者だ?」
 「コミューンの検事、リゴーだ」
 「検事だと? それじゃ、コミューンくたばれ! と叫んでみろ」将校はかれのこめかみにピストルをつきつけて命令した。
 「コミューン万歳!」
 叫ぶやいなや、頭をぶち抜かれてリゴーは倒れた。
 「この日の虐殺は、わずか数時間で、サン・バルテルミ祭の虐殺をはるかに越える激烈なものであった」、とリサガレは書く。「いままでは、殺されたのは連盟兵か、密告された者だけであったが、いまや、兵隊に目をつけられたら、もう死ななければならない。兵隊が、一軒の家のなかを探しまわるときには、何もかもが台なしになる……」
 コミューン戦士たちの死物狂いの抵抗に会って、ヴェルサイユ軍の兵隊たちは狂暴化していた。保守系の新聞「フランス』は書く。
 「かれらはもはや、義務を遂行する兵士たちではなく、野獣の本性にかえった野獣どもである。」
 二十四日の夕方、ヴェルサイユ軍は、南部はイタリー広場から、植物園の西側を通り、ゲィエイユ・デュ・タンプル街を通り、北部のラ・ヴィレット門に達する線にまで、コミューン軍を圧迫していた。
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