パリ・コミューヌとヴイクトル・ユゴー ──「怖るべき年」にふれて(5)

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 ユゴーはルクセンブルグに四ヵ月あまり滞在し、その後フランスに帰る。それから一八八〇年まで、彼の主とした政治活動は、コミュナールたちへの恩赦のためにたたかうことであった。かれはマロトー、ローシュフォール、兵士ブランなどのコミュナールたちを、死刑や追放から救いだす。
 ユゴーはまた、「コミューヌの赤い魔女」と呼ばれた女流詩人、ルイズ・ミシェルの剛毅な闘争ぶりを「男まさりに」という詩のなかにほめたたえる。ルイズ・ミシェルがヴェルサイユの裁判で流刑宣言をうけた翌日の、一八七一年十二月である。

 塗炭の苦しみをなめる人民 地獄と化したパリ
 果てしもない大虐殺 うちつづく死闘を見て
 きみの言葉のなかには 怖るべき同情があった……
 きみは踏んづけられ搾りとられる人たちをほめ讃えた
 きみは叫んだ「わたしは人殺しだ わたしを殺すがいい」
 群衆は倣慢な女が自らの罪を自白する声に聞き入っていた
 きみはまるで墓石に接吻(くちづけ)を投げ送ってるようにみえた……
 だがきみは 英雄主義と勇気以外のものには似合わない
 もしも神が「お前はどこから来たのか」と尋ねたら
 きみは答えただろう。「みんなが苦しみもがいているあの暗闇のなかから わたしはやって来たのです 
 あなたが作られた義務という深淵から出てきたのです」と
 その人たちは知っているのだ きみのふしぎな優しい詩を
 万人に捧げたきみの夜を昼を きみの心づかいを涙を
 ほかのひとびとを助けるために 我を忘れた働きぶりを
 使徒たちの炎の言葉にも似た きみの火のような言葉を
 ……
  (『パリ・コミューンの詩人たち』新日本新書百四十ページ)

(つづく)
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