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対談「三人のパブロ」 (5)まず人間、音楽家であることは第二

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対談「三人のパブロ」
          カザルス、ピカソ、ネルーダの芸術(5)


                      大島博光(詩人)
                      井上頼豊(チェリスト)

 先駆的な労働者の鑑賞組織をつくる

 大島 カザルスはスペイン戦争より前にドレフュス事件(注1)で思想的に目覚めていますね。
 井上 そうです。十代で貧しい人が多いのに他方で大金持ちが権力を握っている状態を見て悩み、青年時代にマルクス・エンゲルスも読んでいます。ですから最初から、まず人間であり音楽家であることは第二である、と。芸術家だからといって人間としての義務から免れられるだろうか、というわけです。若いころから思いつづけてきたことが、ドレフュス事件というきっかけで深まったと思います。晩年に親しくしたのはベルグソンで、思想的な面ではシュバイツァー(注2)と深い交友を結びました。
 大島 若いころのそういう考え方から労働者の鑑賞団体を組織するんですね。たいへん先駆的な仕事です。
 井上 まず最初にカザルス・オーケストラ、これはアマチュアを含めたオーケストラですが、つくる。それを母体にして労働者コンサート協会をつくります。音楽の分野での勤労者の鑑賞団体としては世界最初です。共和国成立の三年前、一九二八年です。根っからの共和主義者ですね。自分は庶民の間に生まれて庶民の中で育って常に庶民とともにあった、そして共和主義者だ、と。王族にも親しくした人はいるが王制にたいする批判は別にあるということも、はっきりいっています。そこにひとつ、カタロニア人の気質がひじょうに強固にあると思うのです。スペインの中で長年抑圧されてきたカタロニアの精神と歴史が、しっかりカザルスの背中に負われている。カタロニアの差別は今でも妙な形で残っているようです。

 まず人間、音楽家であることは第二

 大島 抑圧をはねかえしていく気風ですね。まず人間であり音楽家であることは第二だというのは芸術の基本の問題だと思います。つまり芸術至上主義か、それとも人間のための芸術か。私たちのことでいえば社会の発展方向に沿う芸術を磨いていく態度の問題です。
 カザルスがフランコ独裁のスペインを承認している国では演奏しないと宣言して、自由と民主主義を要求する。ピカソは鳩の絵で知られるように平和運動に参加するし、スペインに自由が回復したら「ゲルニカ」をスペインに返すようにと、ニューヨーク近代美術館と協定を結ぶ。ネルーダは激烈ともいえる詩で祖国の自由のために決起を訴えるし、外交官・政治家として括躍する。そういう行動が自分の芸術を支えるために不可欠なんだという深い理解ですね。

 聴き手が成長できるように協力する

 井上 とくに演奏家の場合、美そのものの追求だけに追われがちです。しかしそこからはほんとうに偉大な芸術は生まれない。聴いているうちは興奮し、ときには技術的な鮮やかさに賛嘆するけれど会場を出たら忘れてしまう。音楽は時間とともに消えてしまう芸術ですから、ほんとうに偉大な音楽というものは一生聴いた人の心に残るもの、忘れられることのない演秦、作品でなければならない。ですから聴き手のために演奏するということが大切です。聴き手が聴き手として成長できるように協力することも大切ですね。カザルスの労働者コンサート協会はそれです。
       (つづく)

 注1 ドレフュス事件=一八九四年、フランスのユダヤ系人、アルフレッド・ドレフュスが陸軍機密をドイツに売り渡したとされたえん罪事件。作家ゾラらが人権擁護に立ちあがり国論を二分した。一九〇六年無罪。
 注2 ベルグソン(一八五九−一九四一年}はフランス哲学者。シュバイツァー(一八七五−一九六五年)はフランス哲学・神学者。バッハの研究、オルガン奏者としても知られた。

<「赤旗」1989.1.11>
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