パリ・コミューヌとヴイクトル・ユゴー──「怖るべき年」にふれて(1)

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 パリ・コミューヌとヴイクトル・ユゴー
      ──「怖るべき年」にふれて

                            大島 博光

 フランス革命の鏡ユゴー

 ヴィクトル・ユゴーの名は、わが国でも小説「レ・ミゼラブル」「ノートル・ダム・ド・パリ」あるいは「海の労働者」などの作者としてひろく知られている。しかし一八五一年、ナポレオン三世のクーデターに反対し、革命に立ち上がって弾圧された人民の悲劇と英雄主義を「懲罰詩集」のなかに描いた詩人ヴィクトル・ユゴー、パリ・コミューヌにおいて、ヴェルサイユ反動政府による人民虐殺を告発し、コミューヌ戦士たちを擁護した、「怖るべき年」の詩人ヴィクトル・ユゴーは、ほとんど知られていないし、あまり紹介されてもいないように思われる。そういうわたし自身もほとんど知らなかったといっていい。なるほどわたしは十年ほど前の一九七一年に刊行した『パリ・コミューンの詩人たち』(新日本出版社)のなかで、ユゴ一に一章をささげてはいる。しかしその紹介もユゴーの偉大さについてはほとんどふれていないのである。
 さいきん、わたしはアラゴンの『あなたはヴィクトル・ユゴーを読んだか』という本を読んでみた。これは一九五二年、ユゴー誕生百五十周年を記念して刊行されたユゴー詩選集で、アラゴンが論評および解説を書いている。そのなかにわたしはつぎのような言葉をみいだした。
 「‥…トルストイはロシヤ革命の鏡であるとレーニンが言ったように、ユゴーはフランス革命の鏡であると言うことができよう」
 アラゴンのこのあざやかな論評は、わたしにはじめてユゴーの偉大さを思い知らせたのだった。こうしてこの一種の衝撃が、も一度わたしにユゴ一についての一章を書かせることになったのである‥…。

 コミューヌにたいするフランス文壇の反応

 マルクスはパリ・コミューヌの犯したいくつかの誤謬を指摘しながらも、コミューヌを「天をも衝く」パリ・プロレタリアートの壮挙としてほめたたえた。そしてまたレーニンは書いている。
 「コンミューン戦士の思い出は、フランスの労働者だけでなく、全世界のプロレタリアートにとうとばれている。なぜなら、コンミューンは、なにか地方的な、あるいは狭い一国的な任務のためにたたかったのではなく、勤労する全人類、しいたげられ、恥ずかしめられたすべてのものを解放するためにたたかったからである。(大月書店『レーニン全集』第十七巻百三十五ページ)
 このパリ・コミューヌを、当時のフランス文壇の代表者たちはどのように見、それにたいしてどのように反応していたか──それをまず見てみよう。コミューヌにたいするフランス文壇の代表者たちの驚くべき反動的対応を見れば、ユゴーの対応にみられるヒューマニスムの偉大さが、いやでもおうでも浮きぼりにされてくるだろう。
(つづく)

(『文化評論』1982年12月号)
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