アルピジェラの誕生──女性活動家ベニータさんが語る

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アルピジェラの誕生──女性活動家ベニータさんが語る

 1973年のクーデターでポブラシオンの組織が崩壊したあと、最初に生まれたのは一種の職業斡旋会だった。クーデターから1年半後の1975年3月のことだった。20人ほどのメンバーはベニータをふくめいずれも左翼の活動家で、政治的迫害を受けて仕事を失った人たちだった。仕事の依頼があるとメンバーから配管工や左官、裁縫師などを派遣する。なによりもまず生きていくための組織だった。教会の援助と庇護を受けながら警察の目を恐れてこっそり活動した。

 1975年に最初のアルピジェラ作業所
 この職業斡旋会のなかに最初のアルピジェラ作業所が生まれた。ベニータを中心に5人の女性グループが生活の足しにと縫い物・刺繍などの手芸品を作り始めた。クリスチャンの女性から古着の切れはしを四角い布に貼り付ける技術を教えてもらった。カトリック大学の学生から人形を作る方法を学んだ。教えてもらった技術と、自分たちの苦しみや怒りを表現したいという思いがひとつになって、アルピジェラが生まれた。「チリで起きていることを告発したかった。文字で表現するのは怖かったが、刺繍でなら少しは安心だったから」
 アルピジェラは、ほぼ同時期にサンティアゴの三つのグループのあいだで生まれた。行方不明者家族会のグループ、東部のポブラシオン「ロ・エルミーダ」のグループ、ビジャ・オヒンギスのベニータのグループである。

 サンティアゴ中のポブラシオンに広まる
 初めの頃は山の手の高級住宅地の家々を一軒一軒訪問して売った。1976年、教会の連帯ビカリアが買ってくれ、翌年からは定期的に買い上げてくれるようになった。
 やがて三つの作業所は合同の販売組織を作った。チリを訪れる外国人やビカリアと連絡をとって販売するためである。しだいに他のポブラシオンでも作業所が生まれ、合同販売組織に参加してきた。こうしてサンティアゴの東南部の全てのポブラシオンの作業所が結集するまでに至った。ほかの地域にも作り方を教えに出かけ、サンティアゴ中のポブラシオンに広まった。東南部のポブラシオンで生まれたアルピジェラは軍政下の代表的な民衆芸術となったのである。
(高橋正明著『チリ・嵐にざわめく民衆の木よ』より)

布の持ち寄り

「アルピジェラの作業所──布を持ち寄って」

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