ロシヤン・バレーとオルガと(下)

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 パリに帰ってピカソは仕事をつづける。モンルージュのアトリエで、舞台の幕を制作する。
内容はひとつのパロディである。旅まわりのサーカス小屋を飾る、大衆的な飾り画を模倣したものである。色彩はどぎつい。衣裳は極度に派手となる。「バラ色の時代」のテーマがふたたび取りあげられるが、こんどは少しばかりマニエリスムをともなっている。馬の上でバランスをとる女騎士。ギターを弾く男がアルルカンを相手に浮かれている。アクロバットの風船までが、前景に色彩のしみとして措かれている。このような幕を見たときの観衆の驚きようは、想像にかたくない。
 初演は一九一七年五月十八日、シャトレ劇場で行われた。キュビスム風の異様な「マネジャー」に観客は唖然とした。それはまさにスキャンダルであった。モンパルナスの画家たちがみんなきていた。画家たちはセーターを着、仕事服を着て、パリじゅうの貴婦人たちのあいだにまじっていた。ピカソ自身もえび茶のセーターを着て、競馬騎手の帽子をかむっていた。あたりでは口笛が吹き鳴らされ、初演は騒然たる不評のうちに幕を閉じた。
 観客の不評にたいして、アポリネールはピカソのデザインとマッシーヌの振付の結合は一種の超・現実主義だと言って、弁護する。
 「ピカソのキュビスム風な衣裳と舞台装置は彼の芸術のレアリスムを証明するものである」そして「このレアリスムは、あるいはこう言った方がよければ、このキュビスムは、この十年来、もっとも芸術を揺り動かしてきたものである。」
 公演は失敗したが、それはまさにキュビスムの勝利であった。ピカソは社交界の罵詈雑言をも、キュビストたちの一派が「裏切りだ」と叫ぶ声をも、意に介さなかった。彼は自分の芸術がまちがいなく進歩していることを知っていた。ダグラス・クーパーは書く。
 「ピカソはこの経験のなかで、動いている人体を観察し、生きたモデルを自由にデッサンし、表情ゆたかなポーズや身ぶりを書きとるという、ユニークな機会を見いだした。こうして蓄積された経験は、その後かれの役に立つことになる。というのは、そのおかげで、彼はいろいろの手法のきわめて広いレパートリーをもつにいたったからである。」
 一方、ピカソがバレーの衣裳のなかにキュビスムのパロディを描いたかと思えば、舞台の幕には、素朴なスタイルで大衆的な画柄を措いて、伝統的な現実表現への復帰を示していることに、進歩的な観客は驚いた。
 「ピカソはキュビスムを放棄したのだ」という声が聞かれた。一九一九年、一九二〇年、一九二一年とつづけて、ピカソがポール・ローザンベールの画廊に、キュビスムの作品を並べて、新古典主義(ネオ・クラシスム)の始まりとみられる絵画やデッサンを陳列した時、その声は、さらに騒然たる声へと高まった。早くもキュビスムの弔鐘を鳴らす批評家もいた。しかし、事情はそれはど単純なものではなかった。ピカソが一九二五年に描いたキュビスムの作品をみれば、彼がキュビスムをすぐに放棄したのでないことがわかる。
 パリにおけるバレーの季節(セゾン)が終わると、ピカソはオルガに随いて、バレー団とともにマドリードおよびバルセロナを廻る。バルセロナでは、六月二十三日から三十日にかけて公演が行われ、エルネスト・アンセルメがオーケストラを指捧する。ピカソは彼の肖像を描く。
 その後、バレー団の一行が南米巡業に出発した時、オルガはそれに加わらない。波止場でバレー団に別れを告げて、オルガはピカソとの生活を始める。
 この頃、彼は「マンティーリヤ(スペイン風のスカーフ)をかぶったオルガ」「肘掛椅子に坐るオルガ」を描いている。
 さて、ピカソがバレーの舞台装置や衣裳の仕事に参加したことの意義を過小評価することはできない。それはまずピカソの生活を変えた。彼は新しい晴れやかな社交界に出入りし、上流の人士に会い、街に出て食事をとり、大いにかせぎまくる。
 一九一八年七月十二目、パリのロシヤ正公会教会において、ピカソはオルガとの結婚式をあげる。陸軍大佐の娘で、きわめてブルジョワ的なオルガの意向によるものである。一九二一年、彼女とのあいだに息子ポールが生まれ、数年後、彼は魅惑にみちたその肖像画を描くことになる。
 オルガや新しい友人たちのすすめで、彼はモンルージュの家から、ブルジョワ的なボエシー街二三番地の優雅な住いに引越す。夏休みも一九一八年には大西洋岸の保養地ビアリッツにある、チリの富豪エラスリス夫人の別荘で過し、一九一九年には地中海岸のサン・ラファエルで過し、一九二〇年にはジュアン・レ・パンで過す。
 祝いのパーティーなどに、ピカソは闘牛師のいでたちで現われたり、高級仕立の服を着るようになる。音楽家アンセルメの語るところによれば、一九一八年頃、ピカソがタキシードを着こんで、山高帽をかむり、鏡の中の自分に見とれて「こんにちは、ムッシュ・アングル」とつぶやいているのを見て、危うくひっくりかえるところだったという。
(─キュビスムの時代─おわり)

新日本新書『ピカソ』──キュビスムの時代>

オルガ
ピカソ 「肘をつくオルガの肖像」1917年

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