ロシヤン・バレーとオルガと(中)

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 ピカソは、ローマのマルグッタ通りのアトリエで、さっそく仕事を始める。彼はメヂチ家の別荘に面した仕事場でバレー用の衣裳を描き、彼が思いついた「マネジャー」の模型をつくりあげる。
 「パラード」(客寄せ道化)は四人の人物によって演じられる。二人の曲芸師、アメリカ娘、中国人の奇術師、それから開会を告げるマネジャーたち。彼らは観衆を魅了して呼びこむために、出し物を順番に演じて、伝統的な「客寄せ道化」を演じる。そのあいだにマネジャーたちは、舞台のすばらしさを鳴物入りで宣伝する。
 ピカソのつくったマネジャーは、三メートルもある、木と金属板による立体的構成物で、そのなかにマネジャーが隠れる仕組みである。マネジャーは宣伝の象徴であって、人物というよりは、動く舞台装置の一部であった。ブリキのシルクハットをかむり、ブリキのメガホンをもった、いわばキュビスムのチンドン屋である。
 曲芸師(アクロバット)は青い炎の描かれたタイツをまとい、中国人の奇術師はけばけばしい派手な衣裳をつけ、アメリカ娘は、当時の子供たちが着ていた「セーラー服」に身をつつむ。しかし、マネジャーは、キュビスム風な異様な立体的構成物のなかに身を隠すことになる。
 四月、ローマ滞在の終り頃、ピカソはガートルード・スタインヘの手紙を書く。
 「ここで舞台装置を描いています。ナポリに行ってきました。そこからあなたに数枚の絵はがきを送りました。ぼくは六〇人のバレリーナを持っています。寝るのが遅くなります。ローマの婦人たちと知りあいになりました。ちょっとばかしみだらなポンペイのファンタジーをいくつか描きました。ディアギレフやバクストやバレリーナたちのカリカチュアも描きました。」
 「ぼくは六〇人のバレリーナを持っています」と語っているのは、そのうちのひとり、オルガ・コクローヴァに彼が心を魅かれていたからである。彼女はバレリーナのなかでもいちばん若くて美しかった。彼女に魅かれて、彼はバレー団といっしょにフィレンツェ、ナポリを訪れたのである。
 およそ二ケ月におよぶローマ滞在中、ピカソは「パラード」の仕事のほかに、「イタリヤ女」「アルルカンと首飾りの女」なども描いている。これらの画では、キュビスム風の様式化された面と、レアリスティックな自然なフォルムとが結びついていて興味ぶかい。
(つづく)

<新日本新書『ピカソ』──キュビスムの時代>

中国服
パラードの衣裳。中国人の奇術師の習作 1917年

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