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十年後のオルタ・デ・エブロ(上)

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 十年後のオルタ・デ・エブロ

 一九〇九年の夏、ピカソはフェルナンドとともにオルタ・デ・エブロに滞在し、旧友パヤレスと旧交をあたためる。ここはちょうど十年前、青春のひと夏を過した思い出の地である。ピカソは村のただ一軒の宿屋「トロンペット荘」に身を落ちつける。宿の息子は村の触れまわり役で、しょっちゅう役柄のトロンペットを吹いていた。パラウ・イ・ファブレはこんなエピソードを書いている。
 「ピカソは貧乏人が窓の下を通るのを見た時、パンをとると二つに割って、その場にあった食物をはさんで、その哀れな男にあたえた。またある時、二人のおかみがフェルナンドとピカソが正式に結婚していなかったことに腹をたてて、ピカソに恥をかかせようと、彼のアトリエの窓硝子に小石を投げつけた。画家はピストルを振りかざしてわめきながらバルコニーに出てきたという。フェルナンドの言葉によれば、その頃ピカソはいつもピストルを身につけていた」
 ピカソはここで「フェルナンドの肖像」のほか数点の風景画──「丘の上の家」「オルタ・デ・エブロの工場」などを描く。この土地のきびしい風景に触発されて、彼は黄土色(オークル)の色調を採用する。
 ガートルード・スタインは書く。
 「その夏、ピカソとフェルナンドはスペインにもどり、数点のスペインの風景画をたずさえてパリへ帰ってきた。それらの風景画がキュビスムの始まりだったと言うことができよう……重要なことだが、ピカソの家の扱い方、処理はスペイン的である……色彩もまた典型的にスペイン的である。ごく少しの緑をもった、あの銀色がかって冴えない黄色、ピカソのキュビスムの絵にみられるのは、この有名な色である。」
 またアラゴンは、「オルタ・デ・エブロの工場」に見られる、切子の面に分析されているこの風景は、現実のオルタのそれにひじょうによく似ていると言っている。
(つづく)

<新日本新書『ピカソ』──キュビスムの時代>

オルタ・デ・エブロ
ピカソ 「オルタ・デ・エブロの工場」 1909年
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