対談「三人のパブロ 」(3)三人とも若いうちからすごい才能を

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対談「三人のパブロ」 カザルス、ピカソ、ネルーダの芸術(3)

               大島博光(詩人)
               井上頼豊(チュリスト)

 三人とも若いうちからすごい才能を

 井上 戦後はじめてピカソの絵に直接触れまして、ピカソの芸術のすごい造形力、ものを見る目の深さと洞察力というか、真実をつかみ出す力に圧倒されました。十四歳のときに描いた老人の絵などはほんとうに印象深かった。十四歳の絵で、その老人の歴史が浮かびあがっている。

 大島 ピカソの父親は美術教師でしたが、たいへん貧乏していましたから、人民の立場、考え方や感情、そういうものが一貫してあったのではないでしょうか。だから芸術の上では新しい運動をいろいろやるが、観念的なブルジョア・モダニズムへはいかないで、リアリズムへ向かうのは、そういうところに基盤があると思う。
 井上 それにして若いうちからすごい才能を発揮しますね、三人とも。

 古いやり方をどんどん改革していく

 大島 ピカソの才能に驚いて、父親はピカソの十三歳のときに自分で絵を描くのをやめたと伝えられています。
 井上 カザルスがチェロの奏法を大改革してしまうのが十一歳、バッハの無伴奏チェロ組曲を再発見するのが十三歳。
 大島 ネルーダがチェコ作家のヤン・ネル一ダの名を借りてパブロ・ネルーダというペンネームで詩を発表し出すのが十六歳。天才としかいいようがないですね。
 井上 カザルスの場合、チェロを弾きはじめるのが十一歳で、すぐにバルセロナの学校に入るのですが、その時代はまだ昔ふうの非合理的なチェロの弾き方をしていたのです。両ひじを両わきにぴったりつけて弾かなければいけないとか。チェロは楽器が大きいので、それを技術的に早くこなすために、音楽抜きといっていいくらい、右手も左手も非合理的な方法だった。
 カザルスはそれ全部ひっくりかえして、こうやれば楽器が十分に鳴って作曲家の意図を正しく深く表現できるという方法を、どんどん考えついた。
 大島 そういう発想ができるところが素晴らしい。

 規範にしばられないで合理的に追求

 井上 その直接のきっかけとなったのはジプシーの弾き方で、彼は音楽学校で習ったことがないから自己流の演奏方法だったのです。カザルスはその中に技術における真理を発見したわけで、たとえば、当時の弾き方は弦を押さえる左手の指が、必ず一本、遊んでいたのですが、ジプシーは知らないから全部の指を使っていた。カザルスが考えついたのはそれです。すべての指を均等に、また結合状態も均等に使って、大きな楽器をどこでも同じよう弾ける合理的、科学的な方法ということです。
 大島 規範にしばられないで合理的に追求する、ピカソもそうでした。あらゆる絵画手法をわがものにして、それまでのアカデミックなものを壊してキュビズムその他を追求していった。方法を通じて真理に迫るという態度ですね。
 井上 それによって芸術の歴史が変わるんですね。音楽家としてはどうしてもその方にひかれるのですが、カザルスの名声は、思想的な面よりそういう面で早くからひじょうに大きなものになっていきます。 (つづく)

<『赤旗』1989年1月9日>

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