対談「三人のパブロ」カザルス、ピカソ、ネルーダの芸術(1)
大島博光(詩人)
井上頼豊(チュリスト)
死んだけれど つねに一緒に
大島 たまたま三人がパブロで、美術・音楽・詩という分野でたいへん大きな仕事をし、一九七三年に相前後して世を去ったということで印象深く残っています。
井上 天才としかいいようがない三人ですが、それだけに、社会の動きと深くかかわり、自由と平和を求めた芸術家の仕事は興味深いですね。
大島 ネルーダが死去したのはチリの軍事クーデター(七三年九月十一日)の直後(九月二十四日)でした。その年に最後の詩集となった『ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌』を出して、右派ファシストとのたたかいに大きな激励を与えていました。クーデターで世界中が注目している中での死でしたからたいへん驚いたし、無念で、私も追悼の詩を書いたものです。
井上 カザルスの死はそのひと月ほどあと(十月二十二日)でした。その二年前に国連総会で演奏したとき、指揮をしたあとに、あの有名な「鳥の歌」を弾いたのがテレビ放送されましたので、多くの人はそれを思い浮かべたと思います。私自身は、一九六一年に彼が日本にきたとき会っていますし、亡くなって一つの時代が終わったというのでなく、まったく違う印象でした。死んだけれど、常にいっしょにいるんではないか、と。
力ザルスに親しんでいた人は世界中にいますが、この世にもういないなら伝説の中でカザルスがくるのを待っている、というようにいう人が多いですね。
自由への希求と強い祖国愛
大島 ピカソ(七三年四月八日死去)を追悼するアルベルティ(注)の詩は感動的です。カザルスもそうでしたが、スペイン人でありながら死ぬ前に故国に帰れなかった、そういうピカソをうたったものです。
フランスの大地よ 彼の根を守ってやってくれ
フランスの大地よ 彼の根を潤おしてやってくれ
それが日増しに深く根を張り 遠くのびて
ついにスペインの大地に入り込み それを突き破って
そこに新しい空気を吹きこんでくれるように
というものです。生きているうちに帰れなかったけれど、根はスペインまで伸びて、新しい自由の空気をよびかけてやってくれという祖国愛ですね。ピカソはいま、南フランスのヴォーグナルグの城の庭に眠っています。
井上 ピカソが生前に、スペインに自由が回復したら「ゲルニカ」をスペインに返してほしいといい遺しますね。で、フランコ独裁が倒されて「ゲルニカ」が返還された(一九八一年)あと、私、スペイン旅行をしたのですが、「最後の亡命者」が帰ってきたといってみんなよろこんでいました。
大島 「最後の亡命者」、面白いですね。
井上 カザルスがやはりスペインに自由がもどったら、自分はミイラになってスペインに帰ると遺言して、その通りに実行されたわけです。カザルスが帰った少しあとで「ゲルニカ」が帰った。だから「最後の亡命者」です。
フランコ独裁に抗議して
大島 ピカソは共産党に入った(一九四四年)ときも、私は亡命者で、フランスの党が私を迎えてくれたから、スペインに帰れる日を待ちながら、フランスの党に入る、ということをいっています。
井上 カザルスの場合も帰ろうと思えば帰れたわけですが、ついに帰らないで自分の考えを通した。第二次世界大戦が終わってスペインのファシズム支配も終わると期待したのですが、連合国がフランコを支持して依然としてフランコ独裁が続くくのに抗議して、一九四六年に再度南フランスのプラードに引きこもる。そして人民の自由が奪われている国、またそれを承認している国では演奏しないという態度で意思を表す〝二度目の亡命生活″に入ります。
大島 人民の自由のない国では演奏活動を拒否して、そうやって思想を表す。すばらしい芸術家ですね。 (つづく)
▲おおしま はっこう・詩人=一九一〇年生まれ。早稲田大学フランス文学科卒。作詩のかたわらフランスやラテン・アメリカの革命詩人の作品翻訳にたずさわる。八五年、『大島博光詩集 ひとを愛するものは』で多喜二・百合子賞受賞。著書に『愛と革命の詩人ネルーダ』(大月書店)、『ピカソ』 (新日本出版社)、『エリエアール』(同)など。
▲いのうえ よりとよ・チェロ奏者=一九一二年生まれ。十七歳からチェロをはじめ、戦前NHK交響楽団員。戦争とソ連抑留を経て帰国。以後、演奏・教育・執筆で活躍。桐朋音楽大学教授。著書に『あなたの音楽手帖』(新日本出版社)。
(注)ラファエル・アルベルティ=一九〇二年生まれのスペイン詩人。スペイン戦争以後亡命し、フランコ独裁が倒れてから帰国。スペインの国民詩人として親しまれた。
<『赤旗』1989年1月>
大島博光(詩人)
井上頼豊(チュリスト)
死んだけれど つねに一緒に
大島 たまたま三人がパブロで、美術・音楽・詩という分野でたいへん大きな仕事をし、一九七三年に相前後して世を去ったということで印象深く残っています。
井上 天才としかいいようがない三人ですが、それだけに、社会の動きと深くかかわり、自由と平和を求めた芸術家の仕事は興味深いですね。
大島 ネルーダが死去したのはチリの軍事クーデター(七三年九月十一日)の直後(九月二十四日)でした。その年に最後の詩集となった『ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌』を出して、右派ファシストとのたたかいに大きな激励を与えていました。クーデターで世界中が注目している中での死でしたからたいへん驚いたし、無念で、私も追悼の詩を書いたものです。
井上 カザルスの死はそのひと月ほどあと(十月二十二日)でした。その二年前に国連総会で演奏したとき、指揮をしたあとに、あの有名な「鳥の歌」を弾いたのがテレビ放送されましたので、多くの人はそれを思い浮かべたと思います。私自身は、一九六一年に彼が日本にきたとき会っていますし、亡くなって一つの時代が終わったというのでなく、まったく違う印象でした。死んだけれど、常にいっしょにいるんではないか、と。
力ザルスに親しんでいた人は世界中にいますが、この世にもういないなら伝説の中でカザルスがくるのを待っている、というようにいう人が多いですね。
自由への希求と強い祖国愛
大島 ピカソ(七三年四月八日死去)を追悼するアルベルティ(注)の詩は感動的です。カザルスもそうでしたが、スペイン人でありながら死ぬ前に故国に帰れなかった、そういうピカソをうたったものです。
フランスの大地よ 彼の根を守ってやってくれ
フランスの大地よ 彼の根を潤おしてやってくれ
それが日増しに深く根を張り 遠くのびて
ついにスペインの大地に入り込み それを突き破って
そこに新しい空気を吹きこんでくれるように
というものです。生きているうちに帰れなかったけれど、根はスペインまで伸びて、新しい自由の空気をよびかけてやってくれという祖国愛ですね。ピカソはいま、南フランスのヴォーグナルグの城の庭に眠っています。
井上 ピカソが生前に、スペインに自由が回復したら「ゲルニカ」をスペインに返してほしいといい遺しますね。で、フランコ独裁が倒されて「ゲルニカ」が返還された(一九八一年)あと、私、スペイン旅行をしたのですが、「最後の亡命者」が帰ってきたといってみんなよろこんでいました。
大島 「最後の亡命者」、面白いですね。
井上 カザルスがやはりスペインに自由がもどったら、自分はミイラになってスペインに帰ると遺言して、その通りに実行されたわけです。カザルスが帰った少しあとで「ゲルニカ」が帰った。だから「最後の亡命者」です。
フランコ独裁に抗議して
大島 ピカソは共産党に入った(一九四四年)ときも、私は亡命者で、フランスの党が私を迎えてくれたから、スペインに帰れる日を待ちながら、フランスの党に入る、ということをいっています。
井上 カザルスの場合も帰ろうと思えば帰れたわけですが、ついに帰らないで自分の考えを通した。第二次世界大戦が終わってスペインのファシズム支配も終わると期待したのですが、連合国がフランコを支持して依然としてフランコ独裁が続くくのに抗議して、一九四六年に再度南フランスのプラードに引きこもる。そして人民の自由が奪われている国、またそれを承認している国では演奏しないという態度で意思を表す〝二度目の亡命生活″に入ります。
大島 人民の自由のない国では演奏活動を拒否して、そうやって思想を表す。すばらしい芸術家ですね。 (つづく)
▲おおしま はっこう・詩人=一九一〇年生まれ。早稲田大学フランス文学科卒。作詩のかたわらフランスやラテン・アメリカの革命詩人の作品翻訳にたずさわる。八五年、『大島博光詩集 ひとを愛するものは』で多喜二・百合子賞受賞。著書に『愛と革命の詩人ネルーダ』(大月書店)、『ピカソ』 (新日本出版社)、『エリエアール』(同)など。
▲いのうえ よりとよ・チェロ奏者=一九一二年生まれ。十七歳からチェロをはじめ、戦前NHK交響楽団員。戦争とソ連抑留を経て帰国。以後、演奏・教育・執筆で活躍。桐朋音楽大学教授。著書に『あなたの音楽手帖』(新日本出版社)。
(注)ラファエル・アルベルティ=一九〇二年生まれのスペイン詩人。スペイン戦争以後亡命し、フランコ独裁が倒れてから帰国。スペインの国民詩人として親しまれた。
<『赤旗』1989年1月>
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この記事へのコメント
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おとうさん、あのね、わたしね、こんどのおゆうぎかいのね、
よさんをね、みんなにないしょでね、つかってね、しまったんだよ。
はなすとね、ながくなるんだけどね、
ほんとうはこんなことはしたくなかたよ。
だからね、わたしのためにね、おかねをね、稼いで欲しいんだ。頼む。
http://ZCh3JF8l.a.uukyc.com/ZCh3JF8l/
園長 高橋優子より
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