ピカソの神話

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 ピカソの神話
 画家ピカソについては多くのことが語られ、多くの神話がつくられてきた。そのありようは、詩の分野におけるランボオの場合にも似ている。
 ランボオについてもまた多くの神話がつくられ、多くの偽造、歪曲が行われてきた。北仏の辺境、風の荒いアルデンヌの野の子ランボオ──「神なんかくたばれ」とベンチに書いて歩いた反抗の詩人ランボオ──パリ・コミューヌを支持して、コミューヌの女性戦士のイメージを「ジャンヌ・マリーの手」のなかに歌い、勝ちほこるベルサイユのブルジョワどもを罵倒して「パリのどんちゃん騒ぎ」を書いたランボオ──こういうランボオが、もっぱら密室のなかの神秘主義詩人に仕立てられたり、あるいはカトリックの聖者にまつりあげられたりしている。
 これとまったく相似たような偽造、歪曲がピカソについても行われてきたし、いまも行われているのである。批評家たちはもうずっと、そのときどきの流行思想の言葉や観念を駆使して、多くのピカソ神話をつくりあげてきた。「未知への飛躍」という直観の理論をベルグソンから借りてきた者もいた。ピカソは悪魔的な力と理想とに引きさかれているという心理分析的な図式を描いてみせる者もいた。さらに、実存主義の文句でピカソをきらびやかに飾ったり、「果常に残酷な精神」(ジャン・ブーレ)というようなサディスムの臭いをピカソにかぎとったり、ピカソ神話の行列はあとをたたない。
 しかし、人間ピカソの姿が明らかになり、彼の生涯の諸段階とその芸術の展開との関係が明らかになるにつれて、彼の芸術とその意義はもっと明らかになるであろう。ピカソについての長いあいだの作り話は力を失い、人びとは「ゲルニカ」と「鳩」の画家ピカソが、自分たちと無縁でないことを感じ取るであろう。「ピカソを雑誌や漫画新聞の伝説でしか知らなかった数百万の人びとが、とつぜん作り笑いをやめて、ピカソを心から信頼しはじめたのだ」(アラゴン)
 わたしもまたピカソをより深く理解しようと思ってこれからピカソとつきあうことにした。
 彼はどこからやってきたのか。
 彼は何をしようとしたのか。

<新日本新書『ピカソ』──序「神話」を超えて>
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