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釣師の歌──期待について

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 釣師の歌
       ──期待について
                      大島博光

釣師は 水に向かっている
川の水は 流れている
白い泡や 水のひだや
小さな渦や うねりを浮かべて
おやみなく 流れている
風の足跡が 水面をけばたたせる
ふと大きな鯉が がばっと跳ねあがる
釣師の期待をかきたてるように
   *
いまにかかるか かかるかと
期待にこころ張りつめて
じっと竿先を見つめているときに
鯉がかかったためしはない

きようもまたあぶれかと
むなしくつぶやきながら
なかば あきらめながら
どこかにいい穴場はないかと
河べりをさぐったり
河原をぶらついたりする そのすきに
鯉はかかるのだ

遠眼にも竿先が生きもののように揺れ動く
飛んでもどったときには
鯉はもう逃げている
   *
大きな鯉がかかって
長いこと ためつすがめつして
やっと手もとに引き寄せて
たもでしやくろうとして
さいごのところで
しやくりそこなうことがある

釣り針をのがれた鯉は
身をくねらせながら
ゆっくり ゆっくり
流れへ帰ってゆく
まるで手づかみにできるようなのろさで

そんなときの釣師を
慰めてやる言葉はない
かれがとりにがしたのは
ほんとうは一尾の鯉ではなくて
一つの夢だったかも知れない

その情景を 焼けるような嫉妬で
見ていた 他の釣師たちは
内心 ほっとするのだ
逃げた鯉が いまにも
自分の竿にかかってくれでもするように
   *
釣り気違いほど純粋なものはない
かれが気違いのようになって待っているのは
ほんとうは期待そのものなのだから
だから釣師は
釣糸さえ垂れていれば気がすむのだ
魚がかからなくとも
つねに期待と希望だけはあるからだ

藻屑が糸にかかって
竿先を撓わめてさえ
かれの胸は躍るのだ
   *
朝露の光る草を踏んで
辿りついた夜明けの釣り場ほどに
釣師の胸をふくらませるものはない
まるでこれから始まる
壮大なドラマの主人公に似て

長くて短かい一日が過ぎて
早くも日が傾く

──きようも釣れなかった
不漁をかこつ釣師は
川面に映る夕焼け雲を見て
みずからを慰め
戦い敗れた兵士のように
疲れと失望にうなだれて
重い竿をふたたび肩にする

長くて短かい一日
かれにはひとつの獲ものもなく
こころに残ったものとては
川面に映った渡り鳥の影や
風に揺れる白いすすきの穂にすぎぬ
だが あくる朝
かれはまた起き上るだろう
新しい期待と希望に胸ふくらませて
   *
釣師は詩人に似ている
見えないものが
かれに働きかけるのだ
   *
わたしは見た
七〇センチほどの大物を釣り上げた
六十七歳の老人が
両手を空に上げて
万才 万才と
子供のように叫んでいるのを
まるでひとつの勝利をかちとったかのように
   *
あんまり魚や小鳥たちと
たわむれていたので
草笛は風に鳴ることを
忘れてしまった

(1980)
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