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松本での「反戦・詩人と市民のつどい」

ここでは、「松本での「反戦・詩人と市民のつどい」」 に関する記事を紹介しています。
一九八七年に松本で開かれた「反戦・詩人と市民のつどい」についても長田三郎氏が続けて書いています。
  ◇    ◇    ◇  
 上田集会から三年後の一九八七年六月二十一日、松本市あがたの森文化会館ホール(旧制松本高等学校跡)で、第十回「反戦・詩人と市民のつどい」が開かれ、県内外の詩人と市民百三十余名が参加し、東京・宮城・神奈川・埼玉・愛知からも駆けつけた。松本は木下尚江を生み、松高事件に代表される反戦・抵抗の伝統ある土地である。金子修氏と渡辺隆美子さんの司会で、池田錬二実行委員長が開会を宣した。
 増岡敏和氏は「峠三吉の原爆詩集について」と題して、峠三吉が、原爆によって痛めつけられながらもその中から人間が起き上がってくる未来への展望を示したこと、病床で最後に書いた「人間をかえせ」の詩は、死者への鎮魂歌ではなくて、人間を愛するが故に人間に敵対するものを告発する詩として今も生きていると話された。
 大島博光氏は、松本が木下尚江、永田広志、高橋玄一郎、清沢冽らの先駆者を生んだレジスタンスの土地であることを紹介し、戦前のプロレタリア文化運動が弾圧されてモダニズム芸術至上主義が中心だった当時を回顧しつつ、今また人間の知性や判断力を奪い人間を人間でなくさせようとする動きが復活し、再び戦争への道を歩もうとしていることを指摘された。そして自作の詩「核戦争のあとには」を朗読し、核戦争後の廃墟にはだれも生き残らない、ぜひとも核戦争を防ごうと力強く訴えられた。
 殿内芳樹氏は「反戦詩雑感」と題して、長尾一臣の詩を紹介し、詩の作者と読者とは縦の関係ではなくて水平の関係に立つものであり、作者が読者に結論を押し付けるのではなくて読者が受け容れる余裕が必要であること、頭で解るだけではなくて胸で解る感動が大切であり、この感動が行動の原動力になることを力説された。そして子どもは、余分なことは言わずに宝石の部分だけを言うから感動的であり、子どもの詩の中にこそ失われた詩の原点があると話された。
 森田進氏は「詩人にとってのアジア」と題して、日本の近代詩現代詩はヨーロッパに啓発され、その関連において生きてきたし、アジアの詩といえば中国の古典詩を教養として取り入れてきただけで、日本の詩は、欧米人の眼を持った、日本語で書かれた欧米の詩であり、美の表現が社会的現実への関心を上回っていると話された。一方韓国では、叙情詩人といわれる人たちも、現代の政治的状況を踏まえて書いており、かつての侵略者日本に対して厳しい拒否の姿勢をとっていること、われわれは今後アジアの詩人たちとの交流の場を拡げ、大衆と結びついたアジアの詩人たちと共通の苦しみを分かち合えるように努力すべきではないかと訴えられた。
 西山克太郎氏は「高橋玄一郎をめぐって」と題して、吉田一穂が高橋玄一郎を高く評価して「周囲の若き世代の精神の師表と慕われている人」と書き、佐藤惣之介も玄一郎に宛てたはがきに「あの山に雪来たら人恋し」と書いていたことを紹介され、若い頃マラルメの影響を受けた玄一郎が、ソーシャルな面に目覚めていき、リアン編集人として昭和十六年に検挙された戦時を回顧しつつ、スパイ防止法が復活すれば再び大変な時代が来ることを指摘された。
 地元の音楽集団ムジカコンパスの主宰者狭間壮氏は、池田久子さんの詩を朗読し、青木資子さんのピアノ伴奏で反戦の歌を独唱され、聴衆の胸に染み込む感動を呼びおこした。詩の朗読は、長野県関係では下諏訪出身の武井京氏、上伊那の細田伊佐夫氏、塩尻の浅井充氏、長野の穂刈栄一氏、戸隠の和田攻氏、松本の六井洋子さん、伊那の原久子さん、松本の伊藤智子さんが中学一年の令息たかし君の詩を代読、県外から参加した矢野克子、木津川昭夫、いだむつつぎの諸氏、それと長田三郎であった。
 土屋二三男氏から、詩集『反戦のこえ』十集までの編集発行の経過と会の歩みについて報告があり、綿内千文氏が提案した国家機密法反対声明が全員の拍手で採択され、実行委員会事務局長の赤羽恒弘氏が「本州の中心にあたるこの地に全国から結集した反戦平和の願いが、全地球を覆っていくことを確信する。」と力強く閉会のことばを結んだ。
 記念レセプションでは鈴木初江さんが、はじめての抵抗組織として、なぜ反戦を呼びかけたか──戦争責任の追求の弱さから核状況下の危機を招き、「戦争に反対する詩人の会」を結成するに至った経過を報告された。松代の長谷川健氏が自作の詩を朗読され、病気で欠席された長野の小熊忠二氏の詩を長田三郎が代読した。大町の上原章三氏、東京から駆けつけた長岡昭四郎、広井三郎、内藤健治の諸氏と、広島出身の山岡和範氏のスピーチがあり、この地の抵抗の歴史を継承し発展させようと誓い合って、長野県詩人協会副会長の柳裕氏の挨拶で会を閉じた。
 「戦争に反対する詩人の会」は全国組織で、九十九人で発足したが、五年半後の今日、約二百四十五人、松本の次に昨秋十月十八日は名古屋で第十一回が開かれ、次の第十二回は今年の六月五日東京早稲田での開催が予定されている。(一九八八・二・十一)
(長田三郎「戦争に反対する詩人の会──長野県における運動の軌跡」『長野県現代詩史』かおすの会発行)
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この集会では増岡敏和さんに続いて大島博光が講演し、詩「核戦争のあとには」を朗読しました。西山克太郎、長岡昭四郎、鈴木初枝の諸氏に、松代から長谷川健さんが参加していることがわかりました。
 
松本にて
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