雪の中の夢の日のことども

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雪の中の夢の日のことども いろいろと有難う御座居ました。 
 さりげない屋代の駅のお別れのあと、あまり御不自由なされずお帰り出来ましたでせうかしら。
長時間の凍えに御風邪を召されはいたしませんでしたでせうかしら。
 私の方は お見送りの隙もないホームの辷りより辷りより そろそろと襲ひ寄る悲しみに ひとりを噛みしめながら真白い平原から平原を走って居りました。時折甦りくる、あのましろい雪の中に咲きこぼれては匂い合ふた朝夕のことばの花又花を 汽車のリトムの上にそっと暖めては摘み探りながら・・・。
吸っても吸っても吸ひつくすときをしらない雪の原のひろごりの、今日もまたうすむらさきに昏れかかり、いともミスティークな匂ひを漂わせて わたしを包みにくると、もう物悲しい雪への郷愁に胸はいっぱになってしまひ、小諸、追分あたり、麦畑の畝の黒土のわずかの現れにさへ、かろい失望と焦燥とが溢れでて 汽車のリトムが又かなしき独り旅へとわたしを誘ふのでしたが、長野のお見送りの御こころを ひとすぢに胸に抱きかかへた私の情熱は、そのまま身うごきさへもさせないで、母のもとへと向はせてゆくのでした。
軽井沢あたりの寒さと云ふたら格別で、思索も夢も凍りついて了ふ程、お出でになられなかったのを まあまあよかった、と思ふのでした。
途中も無事パスで 八時少し前に高崎着、一時間程うらぶれの待合室にうづくまる間、ふと耳を襲ふビジネスびとらの話し声に、再びツンドラなる中へ帰って来て了った余りに独りの自分をひしひしと感じて了ひ、ただひとすぢの絹のきづなへの情熱をひたひたと培ひながら昇りくゆらせてゆくのみなのでした。
 九時少し過ぎ、前橋の空は、オリオンを真上にきらめかせつつ相も変らぬ鋭い風を街路に流して、わたしを清め迎へ、雪の第二夜の二重睡眠に浮かんだ母の吐息のそのまま静かなるおこたつの上へと送ってくれました。

 旅の翌日、昨日は、雪の余韻のほのじろい想ひから麦ふみの音のかろくひびき、うすむらさきに桑けぶる南部の野をさまよふて二十にして逝いたセーラー服時代の絵の友のお墓に詣で、美しき死の友との長い会話のあとを、さまざまな思索の流れに身を委ねながら はるばると歩きつづけてをりました。
あなたの呼吸をほのかにも呼びおこしながら・・・。

 今日まひる いと貴きものなる 新らしき二つの詩、川原辺近ひ公園の うす黄金なるやわら枯芝生の陽の中にうちおよがせつ、しのびやかに暗誦をくり返しながら、そのうちなるものへと触れてゆくのでした。こうして更に更に わたしの旅はつづいてゆくのかもしれません。

雪のひとひらをさへ見ないわたしの故郷では、毎日やわらかい冬の陽が、風かげの芝生や土手に、或る時は、かげらふをさへ見せて やさしいかがやきを続けてゐます。 こうした光の中に、グレイのマフラーをなにげなくも泳がせつつ しづかに臥った貴方の耳へ あのラ・プランタンのその風のアフォロディテのやわら衣をさゆるがせてゆくように 貴方のポエジーの しのびやかなる真髄の音をしづかにも しづかにも お送りしてゆきたいものです。
 ではお元気に、いと澄める時を、飛翔して お送り遊ばしませ。
  一月九日
                  鈴木静江
大島博光様
静江

*昭和20年1月3日に二人が初めて長野で逢ったあとに出した手紙。静江は1月7日帰途につき、松代から屋代まで博光が見送ったことがわかった。雪の信越線を高崎まで行き、夜9時に前橋の自宅に着いた。
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