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ピカソ──ゴソルへ向かう(上)

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 ゴソルへ向かう

 一九〇六年の春、パリの厳しい冬のために、ピカソの健康はかなり不安定になっていた。彼は深い山のなかへ行って気分を一新しようと思った。それにいまは、ガートルード・スタインのおかげで、初めて大金を手にしていた。彼はバルセロナの友人たちのすすめにしたがって、ゴソルヘ向う。
 ゴソルの村はピレネーのアンドラ渓谷の高地にあった。ピカソと愛人フェルナンドはグアルディオラ駅で下車して、そこから驢馬の背にゆられて三〇キロを登らねばならなかった。村は海抜一四二三メートルの高さに位置していて、あたりは野性にあふれた雄大な風景であった。
 当時、村の生活ぶりはオルタ・デ・エブロにまして素朴なものであった。ピカソはカン・テムパナーダという宿屋に滞在してデッサンを始める。
 ピカソは宿の前の広場の蹄鉄屋で長い時を過した。オルタにいた時と同じように、彼は手仕事をする村人たちとつきあい、また密輸入者たちの話をきくのが好きだった……
 ピカソは村の風景、村の人たち、馬や牛を描く。それらのデッサンの複製は一九五八年に『カタルーニャ画帖』と名づけられて刊行される。フェルナンド・オリヴィエは書く。
 「その頃、彼には故国の雰囲気が必要だった。そしてそれは彼の創作欲を刺戟した。あそこで描かれた習作には、きわめて強烈な感動、感覚がただよっている……スペインで見たピカソは、パリにいるピカソとはひどくちがっていた。陽気で、人づきあいもよくなり、もっと生き生きとして元気で、落ちついてものごとにうち込んでいた……
 彼は農民たちとつきあうのが好きで、彼らからも好かれていた。彼はのびのびと自由にふるまい、彼らといっしょに酒をのみ、彼らといっしょに遊んだ。あの不毛で荒涼とした雄大な風景のなかで……彼はパリにいる時のように社会の外にはみ出しているようには見えなかった……この密輸入者のいっぱいいる村で、彼はなんとちがった人間になり、どれほどうちとけた人間になったことだろう。彼は密輸入者たちの長い物語に熱心に耳傾けて、まるで子供のように面白がった……」
 これがキュビストになる数年前のピカソの姿である。故国の親しい風物と人びとのなかにうちとけて暮らし、民衆の声に耳を傾け、人民と結びついたピカソの姿である。
(つづく)

<新日本新書『ピカソ』──ガートルード・スタインの肖像>
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