ピカソ──オランダの旅

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 オランダの旅

 「大道芸人たち」を描きあげると、一九〇五年の夏、ピカソは友人スキルペロールトの招きでオランダにゆき、しばらく滞在する。霧のたちこめるオランダは彼の気に入らなかったが、オランダの若い女たちの「量感」と健康さは、女性美についてレアリスティックな考えをピカソに与える(「頭巾をかぶった若いオランダ女」)。彼はふたたび客観的なイメージにもどろうとする。
 オランダ旅行は、ピカソがみずから「感情の絵画」とよんだものへの訣別となる。
 この訣別は、パリに帰ってから描かれた象徴的な「アルルカンの死」(グワッシュ)によって告げられる。水平に横たわった死者と、それを見守る二人の人物。この絵が描かれた動機は、「洗濯船」の隣人のひとりの自殺であった。
 当時、みじめなどん底のようなその場所では、自殺はめずらしいものではなかったのだ。 
 パリに帰って彼は「裸の少年」「若者と馬」などを描くが、そこにはセザンヌの影響が現れており、ネオ・クラシスムヘの志向がはっきりと見られる。このクラシスムへの志向は、一九〇六年のゴソル滞在中に、いよいよはっきりした形をもって追求される。

 この年の秋、ピカソは、アメリカの女流作家ガートルード・スタインと知りあいになる。
 彼女は兄レオ・スタインとともに一九〇二年の終りにパリに移り、フルーリュ街二七番地に住んでいた。彼女はサンフランシスコの衣料産業家の生まれであった。かれらは現代絵画の愛好者で、一九〇五年にセザンヌとマチスを買っている。同じ年、ガートルードはラフィット街の画商クロヴィス・サゴで「花籠をもった若い娘」を一五○フランで買う。ある日、彼女はピカソに会いたいと思って「洗濯船」を訪れる。この訪問後、彼女はピカソの絵を八〇〇フランで買う。この金額は当時としては高額なものであった。
 ガートルード・スタインは、毅然とした眼をもち、男のような広い肩をして、力強い様子をみせていた。ピカソは気に入って、彼女の肖像を描きたいと申し込んだ。ガートルードはよろこんでそれを受諾した。一九〇五年から一九〇六年にかけての冬のあいだ、最初のポーズが行われた。ガートルードは書いている。(彼女は自分のことを三人称で語っている。)
 「彼女の肖像のために、ポーズ時間が八十回か九十回、要求された。彼女は毎日モンマルトルヘ行かなかったので、たしかこのポーズは少なくとも四ヶ月は行われた。春になってポーズは終りに近づいていた。ある日とつぜん、ピカソは頭の部分を塗りつぶした。
 『あなたを見つめていると、わたしにはあなたがもう見えないのです』彼は怒ってそう言った。こうして肖像画はそのまま放って置かれた……春とともに、ガートルード・スタインと兄はイタリヤに出かけて行った……パブロとフェルナンドはスペインに出かけて行った……」(ガートルード・スタイン『アリス・トクレスの自叙伝』)

<新日本新書『ピカソ』──ガートルード・スタインの肖像>
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