われわれの彷徨は必然だった

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昭和19年12月29日
 遠き世界のひびき、神秘のひびきを獲得して、それを地上にもたらす、あの遥か転位しゆける精神ほど心そそるものはない。忘れ去られ、色褪せたる神の言葉を、新しき息吹もてよみがへらせ、もう一度、ひとびとの耳を奪ふものとしなければならぬ。

 恐らくわれわれの精神ほど渇いてゐるものはない。
 もしわれわれに悲哀が缺如してゐるとすれば、またあの古代のおほらかな歓喜も缺如してゐるのだ。われわれ祖先の古代はまことに太陽の時代であり、太陽の思想が悲哀などを寄せつけぬほどに、燦然と、また豪放に生きてゐた。しかし、中世とともに悲哀がわれわれのあひだに忍びこんできた。かっての太陽の子らは、悲哀にみちる月の民となった。その余映はわれわれのうちに今なほ多分に残ってゐる。
 かくて、われわれには神々もなく、仏陀もなく、悲劇もなく、数学もなく、殆んどわれわれは裸はのまま、日常の平均時間のなかに、或いは文化と呼ばれる薄明の中に投げ出されてゐる。もし、われわれのところに何らか思想らしきものがあるとすれば、それはほかならぬ無の思想である。この無の思想たるや、その対象としての存在をも有せず、したがって、無の深淵をさへも隠してゐない。いはば”無の無”といふべき黄昏である。
 いつか、われわれはそんな砂漠に馴れて、もう渇きを癒すことさへ忘れてしまった。それはもう渇かないことと変わりない。渇いたとて、うるほしてくれる清水とてはなく、もし、一瞬うるほしてくれたといふ幻覚を與へる一滴の幻の水があるとしても、それはますます癒しがたき渇きを深めるにすぎない。
 われわれの彷徨は必然だったといへよう。
 そして彷徨はまたその必然の帰還として、何れかに停止するか、自らを失ふほかはない。無限の彷徨は、もうここでは彷徨ではなくなるであらう。
 かくて、われわれは、或いは内心の叫びを沈黙せしめて、諦念の幸福に横たはり、或るものは韜晦のかげに隠れた。そして、かういふわれわれに共通の点といへば、何れも不毛の地に依然たる不毛の地にとどまってゐることである。

 かかる不毛を超えて、万能の神の豊穣にまで歩み登って行ったものは稀である。そして、この神の高みから、その神秘を可見に変えて、再びわれわれのところへ提示に帰還する者は更に稀である。
<ノート戦前-S19>

    ◇    ◇    ◇
*「五月七日 軽井沢沓掛の宿にて」から始まった昭和19年の日記の最後になります。11月19日の静江宛の手紙では「もう寒く、フィッシングにも行けず、久しぶりに家に閉じこめられていますと、もう何から手をつけてよいか分りません。あまり永いこと原始人の幸福に浸っていたので、思索することが、迷宮の道を辿るやうに、難事に見えて、一向に進みません。昨日は一日中、プルウストの小説を読み耽って、意識過剰、分析癖、神経の綾織、などに自己を移し入れてみました。しかし、それも倦怠に色どられています。早くマラルメかヴァレリイに戻って行かねばならないのですが、時に、このやうな高度な純粋さは恐怖を与へます。それは、大きな自己集中と努力を要求するからです。しかし、美しい秋を忘却のうちに過ごしたのですから、この冬は何か獲得しなければなりません。精神は何ものかを発見するでせう。」
*5日後の1月3日、長野駅頭にて静江と再会し、新しい物語が始まります。
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